ありえない、仕事
【新規就農】未経験から農家になり、長野に移住して14年が経ちました
信濃町を支える代表的な産業の1つとして、農業があります。
冬は豪雪地帯というイメージの信濃町ですが、夏でも日中と夜の寒暖差が大きいことから、美味しい野菜が育ちます。
農業を営みながら、生活を楽しんでいる柳本さんに、信濃町での生活について聞いてみました。
■今回のインタビューはこの人
かつて、農業未経験だった柳本さんは、どんな経緯で農業に就き、この信濃町にたどり着いたのでしょうか。
農家になったきっかけ
サラリーマンになるのが嫌で、思いつきで農業の道へ
==農家を目指したきっかけは?
学生時代は、工業高専で土木を学んでいました。
当時は、就職難ということもなく、「当たり前」のように卒業したらサラリーマンになるという風潮がありました。
でも、私は嫌だったんですよね、サラリーマンになるの(笑)
当時のテレビの影響か、人に話しを聞いたのか、忘れてしまいましたが「農業だ」と思いつきがあって、高専を卒業して、愛媛大学の農学部に編入学をしました。
==農家になるための勉強を始めたわけですね。
大学へ入学するまではよかったのですが、実は、すぐにやめました。
高専時代に土木しか学んでこなかったので、生物とか化学とか、基礎がないから、勉強についていけなくて。
付き合っていた彼女(現在は奥さん)が静岡に住んでいたので、とりあえず静岡に行って、仕事を探してみることにしました。
群馬で農家になりかける
==スタートは静岡で農家だったのですね?
いえ、静岡に移って就いたのが、自然食品の配達の仕事でした(笑)
農業に少しでも近い仕事がしたいと思って食品の会社には入ったのですが、農家とはほど遠い仕事をしていました。
その後、縁があって、群馬で旅館の畑を新しく作る仕事をしたのが、はじめての農業だったのですが、わずか1年で旅館が畑をやめるという事態になり、仕事を失ってしまいました。
静岡に戻り、知人の紹介から、キャンプ場の管理人をしながら障がい者の福祉施設でアルバイトをさせてもらうことになりました。
その際に、障がい者が社会復帰するために農業を活用できないかなと思い、施設にいろいろ提案をしていました。
必要性は、感じてもらえるのですが、実現には至りませんでした。
その頃より、農業をやりながら、人と関われるやりかたがあるんじゃないかな、という思いが強くなっていました。
富山で農家になる
==農家になるまでに、いろいろな経験をされていますね(笑)
福祉施設で働いていた時に知り合った方が、富山で、不登校の子どもたちが学校復帰をするためのフリースクールを行なっていました。
そこでは、農業体験を行うプログラムがあり、一度、見に行かせてもらいました。
農業がきっかけとなり、人との交流が生まれていて、そのやり方がとてもしっくりきました。
「ここで働かせてほしい」と申し出をして、米農家として働くことになりました。
ゼロから農業を教えてもらい、自分でも田んぼを借りたりしながら勉強をしました。
フリースクールと農業の両立は、理想だったのですが、農家になって3年が経ち、もっと農業に打ち込みたいなと思うようになり、就職という形ではなく自分でやるという形で再スタートを決意しました。
長野で農業をはじめる
新規で農家をはじめるのは「やめたほうがいい」と言われ続けた
==長野ではじめたきっかけは?
富山から、農業をする場所を探していた時に、学生時代にバイクで日本中を旅していた時のことを思い出しました。
長野の山の景色が好きで、いつか住みたいという気持ちがあり、長野県の就農センターの説明会などに参加して情報収集をしていました。
地方の農家では、後継者不足が深刻な問題となっていますが、それを解消するために生産法人もたくさん立ち上がっています。
そのため、就農センターの説明会も、就職相談会のような雰囲気になっていて、「新しく農家をはじめたい」と相談したのですが、「自立型の農家はきつい、やめたほうがいい」と言われ、生産法人への就職を勧められました。
でも、自分でやりたかった。
長野と富山を行き来していた時、いつも新潟方面をまわって長野に通っていました。
帰り道、新潟に入る直前の最後の町が信濃町で、ここを通る度に「景色の綺麗な町だな」と思っていました。
あれは、秋の紅葉の綺麗な季節でした。
いつものように帰り道に信濃町に差し掛かった時に、「信濃町役場」の看板に目がいって、ふと思い立って話しを聞きに行こうと立ち寄ったことがありました。
そこで、新規就農の相談をしました。
話を聞いてくれた当時の役場の担当者が、突然その場で電話をかけはじめて
「田んぼあったよ。どうする?」
と、ビックリするほど早く見つけてくれました(笑)
住むところも無いので考えます、、、、と少し引いた姿勢で帰ったのですが、すぐに電話がかかってきて
「家もあったよ。」
と、トントン拍子に決まり、信濃町に住むことを決意しました。
「初めて」づくしの生活
役場から紹介してもらった家は、家賃が3万円(4万5千円のうち1万5千円補助が出ていた)でした。
移住したのは、12月で、信濃町はすでに雪が降る季節でした。
雪国の生活も初めて。
自分一人で農業をやるのも初めて。
そして、信濃町に移住をして翌月に、子供が生まれました。もちろん子育ても初めてでした。
半農半Xの生活
収入を確保することから始めた1年目
==初年度はいかがでしたか?
まず、米作りをしているだけでは食べていけないので、役場に求人を見にいきました。
役場の紹介から、黒姫童話館のバスの運転手の仕事に就くことができ、月に7〜8万円くらいの収入を確保することができました。
また、新規就農者向けの補助金の申請をさせていただき、月に2万円ほど補助をいただいていました。
始めた当初は、この2つの収入と、お米の販売でやりくりをしていました。
3〜4年で、お米農家としても基盤が出来上がって、アルバイトや補助金に頼らなくても生きていけるようになりましたが、田んぼのシーズンが終わった冬には、雪下ろしのアルバイトを今でもたまにしますし、農業に影響がない範囲内で4年くらい前から信濃町にあるキャンプ場の管理のお仕事もさせていただいてます。
無農薬栽培の大変さを思い知る
==農業を始めて大変だったことは?
本業の米農家に関しては小さな田んぼ3枚(約2反)からはじめて、初年度は1トンも満たない収穫量でした。
売上としては20~30万円くらい。
うちは、無農薬栽培で米を育てています。
始めた初年度は、自分は才能があるんだなと勘違いしたくらい、お米が順調に育ちました。
しかし、2年目、3年目と続けていくと、収穫量がどんどん少なくなっていく。
後から気づいたことなのですが、前の年の田んぼの肥料なんかが残っていて、完全にそれが抜けた時、ガクっと収穫量が落ち込みました。
「無農薬」と言えるまでに、何年かかかることを知りました。
==作ったお米は、どこに販売していますか?
販売先は、富山の時代からずっと知り合いづたいで徐々に増やしていきました。
無農薬のお米を求めている方、1人1人に対面で説明をさせていただき、私の作るお米にご納得いただいてから購入いただいています。
必要なら田んぼを見てもらうこともあります。
そうやって、何年もかけて徐々に増やしてきたお客様で、いまは成り立っています。
ネットショップやスーパーに卸すなどもやってみたのですが、私の場合は、全然売れませんでした。
新しく農家になる方へ
農家になってよかったこと
==農家になってよかったことはありますか?
信濃町のこの素晴らしい景色の中で仕事ができるのが幸せです。
私は、母親が東京、父親が大阪で、「いなか」を持たない子供時代を過ごしました。
なので、どこかに「いなか」への憧れがあったのだと思います。
いま、仕事をしていて、ふとした瞬間に見渡す山の景色や、四季の様子を見て、幸せを感じます。
あとは、子供たち。
毎日学校帰りに、私の仕事場に寄り道をして、好き勝手遊びまわっています。
それを見ているのが面白い。子どもを見ていると退屈しませんね。
日々、そんな暮らしができるのも農家をやっているおかげです。
田舎は甘くない
==これから農家になる方にアドバイスはありますか?
やってみなきゃ、結果はわからないので、覚悟と準備が必要だと思います。
最低限の生活ができる収入は確保し、あとは、農業に専念できる環境をつくることです。
周りの農家がうまくいっているからといって、真似てもうまくいかないのが農業の難しいところです。
とにかく自分なりのやり方を見つける必要があります。
==田舎だから難しいことってありますか?
田舎は、人が優しいから、周りが助けてくれると思ったら大間違いです。
手伝いがなくてもやるという覚悟がなければ、難しいでしょう。
田舎の農家の方は、80代90代でも現役な方がたくさんいらっしゃいます。
私も、10年以上経ちますが、未だに自分の時代はまだ来ていないなと感じます。
田舎の人たちは、先祖代々、田畑を大切に守ってきたわけで、自分の代でもしっかり守らなければと思ってらっしゃいます。
新規就農者は、そんな大切な土地を使わせてもらわなければ、農業ができないことをきちんと認識しなければいけません。
新規就農は大変なチャレンジですが、そんなよそ者を受け入れるべく、大切な土地を貸してくれる地元の方たちも、同じくチャレンジしてくれてるんです。
そこのところの理解がなく、興味本位、自分本位だけでは、うまくいかないのではないでしょうか。
ありえない、いなかまちで、農業しませんか
様々な経験をして農家になった柳本さん。とても柔軟な発想で、仕事も生活も楽しんでいる様子でしたね。
ここ、ありえない、いなかまちには、まだまだそんな面白い人たちがたくさん住んでいます。
農家を目指している方は、一度、信濃町を訪れてみませんか?
柳本さんがこの土地を選んだ理由の「素晴らしい景色」を体験できますよ。