ARTICLE
ありえない信濃町通信

TOP > ありえない信濃町通信 > 田舎には仕事が無いの?移住して3ヶ月仕事が見つからなかった移住者の今

田舎には仕事が無いの?移住して3ヶ月仕事が見つからなかった移住者の今

ありえない、仕事

田舎には仕事が無いの?移住して3ヶ月仕事が見つからなかった移住者の今

「田舎には仕事が無い」とよく言われますよね。
ありえない、いなかまち、信濃町も、やはり仕事が無いのでしょうか?
ありえない、いなかまちのお仕事事情を地元企業で働く人たちにインタビューしてきました。

まずは、第一弾。
人脈なし、手に職なし、で思いつきで信濃町に移住した多羅尾さんに、信濃町で生きていく術について教えてもらいました。

■今回のインタビューはこの人

新卒で入社した会社は、正直キツかった。

ブラッ◯企業?激務のサラリーマン時代

==初めて就いたお仕事は何をしていましたか?
大学を卒業して、新卒でOA機器・事務機器の販売をしている企業に勤めました。
今でもある業界では大手の企業で、当時は「この会社で3年続けば、どこでも働ける」と言われるくらい、体育会系な会社でした(笑)

営業でしたので、ノルマも高く、怒られる毎日でした。
正直、1年目から「辞めたい」と思っていましたね(笑)

==仕事を辞めるきっかけは何だったのですか?
3年は頑張ると決めて仕事に燃えていたのですが、結婚をして価値観が変わりました。
平日は、朝早くから夜遅くまで仕事をして、寝るために家に帰る日々で、妻と話す時間もろくに取れていませんでした。
「このまま仕事を続けていて、幸せなのだろうか」と考えるようになり、憧れのあった「田舎に住む」ということを意識しはじめました。

 

「田舎」を想像すると信濃町を思い出す

==田舎暮らしに憧れがあったのですね。なぜ信濃町だったのですか?
大学時代、水上スキーをやっていたのですが。
社会人になって、長野に行く機会があった際に、野尻湖で水上スキーをしました。
その時に、昔からの憧れであった「田舎暮らし」を真剣に検討し始めました。

両親には大反対をされましたが、移住を決めて準備を始め、3年半勤めた会社を退職しました。

==お住まいはどうされたのでしょうか?
信濃町に移住する際に、「空き家情報サービス」を使ったのですが、
物件は5〜6件載っていたのに、蓋を開けてみると入れる物件は1件しかありませんでした。

なので、選ぶ余地もなくそこに決めました(笑)
※現在の空き家情報は、コチラのページからご確認いただけます。

 

根拠のない自信とは裏腹に、思ったような仕事は見つからず。

勢いで移住したものの、仕事に就けない日々

==信濃町に移住して、仕事はすぐに見つかりましたか?
ハローワークなどを見ながら、様々な会社に面接に行きましたが、ことごとく落とされてしまいました。
いま思い返すと、自分本位で、ちょっと“上から”な態度だったことが原因だったと思います(笑)

それでも「大丈夫」と何故か根拠のない自信がありました。

移住して3ヶ月間も無職が続くと、さすがに何かやらないと、という焦りが出てきて、初めて就いたのが、長野市の会社のガードマンの仕事でした。
道路工事などの際に、現場にいるガードマンです。
雇用形態は、アルバイトだったのですが、「時給が安い」という理由で、たった2ヶ月で辞めてしまいました。

あっという間に無職に戻りました(笑)

その後、ボイラー技師の資格をとって、ボイラー技師になってみたり、いくつかの仕事を経験し、今の仕事をするきっかけとなる製材所の仕事に就きました。
木材を扱う仕事に携わったのは初めてでした。

 

木材の魅力に惹かれていく

==その製材所で、いまのお仕事をするきっかけを見つけられたのですね?
はい、製材所では、主にフォークリフトで木材を運んだり、木を製材する補助をするのが主な仕事でした。
そして、入ってすぐに気づいたのですが、製材の過程で、大量に端材(はざい)が発生するのですが、それを当時の会社は捨てていたんですよね。

私には、それが「宝物」のように見えました。
そこで、ネットショップを立ち上げて、端材を売ることにしたのです。

 

捨てていた端材が、「金の卵」に。

夜な夜なネットショップを立ち上げた

==会社の協力もあって、発生した端材を販売させてもらえることになりました。
日中は製材所の仕事、夜家に帰ったらネットショップの仕事と、ダブルワークの生活が始まりました。

そして、ネットで掲載した端材は、バカ売れしました。
当時は、今と違って、販売価格も適当だったことと、競合もほとんどいなかったことが要因かと思いますが、とにかく、売れました。

しかし、ある時、ダブルワークを続けている間に、身体を壊してしまい入院をきっかけに、2年半勤めた製材所を退職することになりました。
信濃町に来て仕事が見つからない期間を経て、ようやく定職に就けた、この製材所のお仕事には本当に感謝しています。

 

独立したが、稼げないし、肩身が狭い。

==退職されて、ご自身のビジネス1本に集中することになったのですね?
退職後は、療養をしながら、ネットショップに集中しました。

しかし、独立してみて、改めてビジネスを見直してみると、全然儲かりませんでした。
売れていたのですが、ビジネスの基本がわかっておらず、利益はほとんどありませんでした。
独立直後の売上は1ヶ月で15万円でした。全く採算が取れていませんでしたが、それでも当時は大喜びしていました。
幸いなことに、妻が看護師でしたので、私が「専業主夫」となり、家事や幼い息子の子守をしながら何とかやっていけました。

しかも、私はネットの仕事なので、ずっと家にいます。
ご近所の方は「ネット?」という感じで、理解してもらい辛い仕事だったので、「あそこの旦那さんはいつも家にいる」と噂され、肩身の狭い思いもしていました。

 

試行錯誤の7年間。

安定させるまでに何年もかかった

==そう簡単にはいかないものですね。大変な時期をどう乗り越えたのでしょうか?
きちんと利益が出るように、試行錯誤しましたね。
木を磨いたり、需要のあるサイズに揃えたり、創意工夫をして、単価をあげていきました。

在庫も安定させられるように、木材屋さんなどのツテなどで、仕入先を増やしました。

子供が生まれたばっかりだったのですが、子供の周りに柵をはって安全を確保し、その脇で妻と2人で黙々と仕事をしていました。
そうやって何年も続けて、少しずつ利益も上がってきて、できることも広がって行きました。

 

人脈がとても大切

移住して、消防団に入ったおかげで、地元の人との人脈が広がりました。
また、今は商工会にも所属しているので、そこでも多くの人と知り合えるきっかけができました。

妻は、看護師から転身して居宅介護支援事業と訪問介護事業をはじめました。
これも、町の人たちの紹介で、スタッフさんを集めることができ、とても人に恵まれ順調にスタートできました。

私もずっと一人で何から何までやってきたのですが、知り合いの紹介で初めてスタッフを迎え入れることになり、多くの仕事を振り新しい動きができるようになりました。

今は、常勤のスタッフ1名と、地元のNPO法人SUNの協力のもと、障がいを持った方にも週の何日かお手伝いに来ていただいています。

このような、人との繋がりに、本当に感謝をしています。
これまでを振り返ってみると、周りに助けられて、今があると思います。

 

これからは、もっと地域のために。

仕事を取ってくることが仕事になってきた

==これからの目標はありますか?
「販売している銘木で家具が作れないか?」という相談を受け、地元の家具職人さんと連携をしてオーダーメイド家具作りの仕事も受けるようになりました。
他にも、空き家を購入し、リフォームをして賃貸事業をはじめたり、新しいことに挑戦しています。

オーダー家具作りも、賃貸事業も、自分のできない部分は、地域の事業者さんにお願いをしているので、自分が仕事を取ってくることで、地域に仕事がまわるようになりました。

また、事業が成長し、人と関わる機会が増えてきたことで「ありがとう」と言われる機会も増えました。
人を喜ばせて、感謝されることで、自分もようやく幸せになれるんだなと感じています。

現在の直近の目標は、賃貸物件も増やしながら、不動産事業をはじめたいと思っています。そのために、宅建の資格を取ろうと勉強もはじめています。
これからは、この町に必要なことをもっとやっていきたいです。

==どんどん仕事の幅が広がっていきますね!
はい、田舎にはチャンスも多く、まだまだやれることはたくさんあると思っています。
ただ、「人」がいないのが難点ですね。人手が必要でも、人が見つからないんです。
田舎でビジネスをする上で、大変なのは人の採用のところだと感じています。

これからも1人でも多くの人に喜んでもらえる仕事をして、信濃町をよくしていきたいと思います。そのためには、同じ想いの人を1人でも増やしていけたらと思っています。

 

ありえない、いなかまちで、仕事しませんか

田舎には「仕事が無い」と言われますが、多羅尾さんのように自分で切り開き「仕事を生み出す」ことも田舎ではよく見かける光景です。
仕事を探している方は、多羅尾さんをはじめとした、田舎で仕事をつくってきた先輩たちに話しを聞きに訪ねてみるのも良いでしょう。
ありえない、いなかまちで、仕事をしたい方、待っています。

\こんな記事も読まれてます!/