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会いに行ける冒険家!アウトドア初心者にも通じる等身大のエピソード

ありえない、町民

会いに行ける冒険家!アウトドア初心者にも通じる等身大のエピソード

はじめまして、ライターのえのです。
信濃町から山ひとつ離れた木島平村在住です。

多様な人たちが集まる信濃町。まさか「冒険家」まで住んでいるとは驚きました。

人力のみで海抜ゼロメートルから山頂を目指す方法(SEA TO SUMMIT)で、世界七大陸の最高峰(SEVEN SUMMITS)を制覇する ― まだ世界で誰も成し遂げたことがない壮大なプロジェクト、SEA TO SEVEN SUMMITS。

仕事や住む環境を変えながら、大きな目標の達成に挑戦し続けている吉田智輝さんにお話をうかがいました。「アウトドアには疎くて・・・」という方も、この記事を読んだ後は「冒険の世界」がぐっと身近に感じられるかもしれません。

今回インタビューした方

ガンジス川で受けた人生の啓示

――まず、『SEA TO SEVEN SUMMITS』というこの壮大なプロジェクトを始めた経緯を教えていただけますか。

オーストラリアの登山家がエベレストで「SEA TO SUMMIT」を達成した日が、自分の誕生日と年月日までぴったり同じだと知ったことがきっかけです。

海外高所登山に目覚めたきっかけは、大学卒業間際に登ったキリマンジャロ(標高約5,895m、アフリカ大陸の最高峰)でしたね。 大学卒業後もシンガポールで働きながら海外登山を継続していました。

仕事で身を置いた金融業界は、一国の大統領のちょっとした発言で株価が大きく上下するような世界で、自分のリアルとはかけ離れ、現実味がないと感じていました。一方で登山では、その場で体験することがそのまま自分の経験として受け取れるような、生きた感覚を味えて、海外登山の経験を積めば積むほど、アウトドアとは対極にあるような金融の世界で働くことに対する違和感が大きくなっていきました。

そんな時にこのプロジェクトを思いついて、世界でまだ誰もやったことがない挑戦だったので、「なにか大きなことを成し遂げてやろう!」という気持ちでプロジェクトを始めました。当時はけっこう野心的で、今よりギラギラしていたかもしれませんね(笑)。

――海外での金融の仕事を辞め、プロジェクトに専念するというのは大きな決断だったと思います。踏み切るきっかけは何かあったのでしょうか?

プロジェクトを思いついたのと同時期に、何かに暗示されているのかと思うくらい色んなことが重なって起きて、生と死を考えることが増えました。山にいるときも思いますが、人っていつ死ぬかわからないので、今やりたいことをやってみたいと強く感じ、踏み切ることができました。

――具体的にどのような出来事があったのかお伺いしてもいいですか?

大きな出来事は、友人や先輩が立て続けに亡くなったことです。さらにその先輩が亡くなった1週間後に訪れたインドのガンジス川での経験も大きかったです。

僕の愛読書からの影響で、いつかガンジス川で泳いでみたいと思っていったのですが、いざ行ってみるとガンジス川ってとても汚いんですよ。「うわ、どうしよう」ってその場にたたずんでいたら、日本語を話す怪しげなインド人が近づいてきて、「君は幸運にもここに来ることができてしかも泳ぎたくて来たのに、なぜ泳がないの?」って、すごくシンプルなことを訊かれたんです。「日本人はいつもやりたいことを後回しにして、よくないよ」とも言われました。

それがちょうど、身近に起きた出来事をきっかけに死生観について考えていたタイミングで、ガンジス川という象徴的な場所で言われたことも相まって、すごく心に響きました。別のシチュエーションで同じことを言われても、何とも思わなかったかもしれませんが、当時やりたいことがこのプロジェクトだったので、「確かにそのとおりだ」と腑に落ちて、最初のコジオスコ山(標高約2,228m、オーストラリア大陸の最高峰 )の挑戦を決めました。

――まさにタイミングですね。流れに乗って自分の直感に従って進まれているように感じます。ところで、結局ガンジス川は泳いだんですか?

泳ぎましたよ、川に口をつけないようにして。でも「どこから来たんだ」っていろんな人に話かけられて、もうそれどころじゃなかったです。 実はこの話にはオチがあって、泳いだあとに例の怪しげなインド人に、「川で泳いでもこうすれば病気にならない」って言われてアーユルヴェーダの店へ連れて行かれたんです。多分あれは彼にもいくらか儲けが入っていたんじゃないかと思うんですよね(笑)。

辛い挑戦。それでもまた次を目指したくなる魅力

――吉田さんが感じている挑戦の醍醐味は何ですか?

海から山に至る行程ですね。山登りは普通、大体のルートが決まっているけど、海からスタートすると、その間にどこを通るかというのは自由で、とても冒険的です。海から行くので達成感はものすごくあります。途中で知り合った現地の人にさえ「後でどうだったか教えてくれ」って言われるくらい、地元の人でも行かないところを進んで行く、そこは醍醐味だなと思います。

現地の人に出会って、家に招いてもらったり、現地の食事や色々な文化を見せてもらったり…。もともと旅が好きなので、海から行くことで、辛さも含めて別の魅力も見えてきました。

――遠征から帰ってきて「辛くてもう行きたくない」と思った事はありますか?

辛いのは、いつも辛いです(笑)。
最初に挑戦したキリマンジャロでは、初めての高所登山で、数歩歩いただけで息が切れるような経験をして、「人生で一度きりだ、もうやらない」と思うくらいでした。

足の皮が剥けたり、体のどこかしら痛かったり、毎回ボロボロになります。精神的にも、満身創痍の体を引きずって、天候とも闘いながらグッと耐える強さが要求されるので、極限の状態で挑んでいます。

でも、振り返ると「良い体験だったな」と思えてきて。衝撃が強い体験って、「またやってみたい」と思わせるような側面があるのかもしれませんね。

行く前は、不安や緊張、プレッシャーを感じて憂鬱な気持ちになります。 両親にも妻にも心配をかけますし。でもだからこそ安全に帰ってこようという思いは強いですね。

――辛くても挑戦を続けられている原動力は何だと思いますか?

はじめのうちは「やってやろう!」という気持ちのままに突き進んでいた部分がありましたけど、深掘りしていくと、やはり毎回の遠征で自分が見聞きしたり体験したりしたその国の文化や、世界にはものすごく綺麗な景色があるということを皆さんに伝えられることも魅力だと思いました。

僕はまだ目標に向かって挑戦中の「途上」の身で、多くの壁があり、悔しい思いをすることも多々あります。「プロジェクトに成功したら取材してあげる」とメディアの方々に言われることもあり、成し遂げる前の僕が何かを発信してもその言葉はあまり響かないのだと痛感します。だからこそ、このプロジェクトを達成して、今の僕と同じように「途上」にある人たちを勇気づけられるようになりたいという思いは、原動力になっています。自分の子どもにも、好奇心を持って失敗も経験しながら自分なりに突き詰めて挑戦する子になってほしいので、僕のプロジェクトを見て何かを感じてくれたらいいなと思っています。

――お話を聞いていると、どんな状況でも楽しみを見出して選択を重ねられている印象を受けました。プロジェクトも含めて、物事の捉え方などで意識されていることはありますか?

色々なことに好奇心を持って、面白そうだと思う事には常にオープンでありたいと思っています。 たとえば最悪な体験になったとしても、報告会や執筆などで発信するネタにしようと考えていると無駄にはならず、それが糧になっているという実感があるので、失敗を恐れずトライしてみることを大事にしています。

コロナ禍のジレンマが移住のきっかけに

――信濃町に来たきっかけは何かあったのでしょうか?

妙高野尻湖 SEA TO SUMMIT」というレースイベントが行われるのを知って、アラスカでの登頂を終えた直後に参加したのがきっかけです。海から山へ向かうスタイルは個人的に“僕の登り方”だと思っていたので、「そんなイベントがあるのか!」と興味を持って来てみたら、ものすごくいいところで一目ぼれでした。

野尻湖のまわりにそれぞれ個性のある山が一望できる環境も気に入りましたし、信濃町は長野駅まで新幹線で来てそこからローカル線1本でたどり着けるので、気軽に参加できたということもありました。

――それですぐに信濃町に移住されたんですか?

いえ、2年ほどかかりました。その間は実家に住んでいて、プロジェクトをやりながら副業など色々なことをしていました。そのうちにコロナ禍になり、トレーニングのために山に行きたくても県をまたぐ移動を自粛せねばならず、くすぶっていました。そのときに、信濃町に移住すればすぐ近くの山に行くことができると考え始めて、もともと移住したかったんだから、今やろうかなって。そういう意味では、コロナ禍は移住のきっかけとして大きかったと思います。

妻と出会ったのも信濃町です。出会った当時、妻はすでに信濃町に住んでいて、僕が移住する前からの顔見知りでした。

――コロナ禍はプロジェクトにも影響がありましたか?

そうですね。当時、妻にも「もう辞めるかも」と話していたぐらい、プロジェクトの遠征準備をしてはダメになるという、無意味なことを繰り返す拷問のような状況が続いて、心が折れそうになっていました。でもその時期を乗り越えて、4年越しの挑戦が叶ったときには、諦めずにやって良かったなと思いました。

日々の暮らしが冒険に与える好影響

――今、信濃町での暮らしている中で、冒険への挑戦と「繋がっているな」と感じることはありますか?

信濃町に移住する前に挑戦したデナリ(標高6190.4m、北アメリカ大陸の最高峰)遠征で、アラスカの人々の暮らしがとても魅力的だったんです。自分で狩りをしたり家を建てたりして、衣食住を自分でまかなう暮らしをしている人達に沢山出会い、彼らがすごくかっこよくて、こういうところに移住したいと思いました。 それで信濃町に来てみたら、すごく綺麗で素晴らしい自然があって、町の人の日常の中にある山菜採りやきのこ採りも、僕にとっては初めて知る世界で、自然と共に暮らしている人が多いと感じて。

それまではただ山を目的にだけ行って、山頂で「わあ」って感動するだけでした。でも、自然の中に暮らしている人達がいることが素晴らしいということに気がついて、以来自分の自然に対する見方が変わり、町の人達との出会いや、その過程も含めて、景色や自然との関わりみたいなものが1つ1つ大切に捉えられるようになりました。 そこからプロジェクト自体も、ただ「山頂を踏むぞ」というよりは、山頂に至るまでの過程をより大事にできたらという想いをもって挑戦するようになりました。その気持ちの変化はこのプロジェクトにとっては本当にいい影響です。

―逆に信濃町で日々の暮らしがプロジェクトにも影響しているということですね。

本当にそうです。トレーニングのために移住した部分は大きいのですが、そこに実際住んでみたらプロジェクトにもいい影響があったというのは、思わぬ収穫でした。

デナリ遠征でのパートナーの1人も信濃町に住んでいて、その彼にも色々教えてもらっています。 特に今回のデナリ遠征は、ここに移り住んだからこそ達成できたとも思うところです。

何よりやっぱり雪国の人には敵いません。スキーはめちゃくちゃうまい人が多いし、登山も「少ししかやりません」って言う人がヒョイヒョイ身軽に登っていくし。周りに色々なことを教えてくれる先輩がいるので、自分の知らないことが多いことに気づくことができて、謙虚になれます。

信濃町の森にて。先輩ガイドとともにスノーシュー

最近は、気候変動の影響で、北極では冬期に氷の上を行くような冒険というのはもう難しく、今はほぼ行けないような状況になっています。信濃町でも、昔は冬に気温がマイナス15度になるなんて当たり前だったのが、最近は暖かくなってきたと聞きます。そうした自然の変化が身近に感じられる場所にいるって大事ですよね。東京にいると、例えば全国的に水不足の年でも、どこからか水を調達できてしまう感じがあって、蛇口から水が出てこなくなる心配をすることがないので、自然の現象や問題がとても遠く感じられる。でも、自然に近いところでは、自然の中で起きている問題を自分事として捉えるチャンスがいっぱいあります。

アウトドア体験なんてまさに、身一つで自分の衣食住の面倒をみないといけないので、普段いかに人にやってもらっていることが多いかを実感します。単純化された世界だからこそ、今の社会全体でいかに複雑化しているかが対比で見やすくなって、自然の中での体験そのものに加えて、自分自身に対して気づきを得られる体感がとてもあります。

自然と縁遠くても楽しめるアウトドアのススメ

――私のようなアウトドア初心者に向けて、自然の魅力について教えてください!

景色が一番ですね。僕の限られたボキャブラリーでは表せないような、「わっ!!」と驚くもの、心が揺さぶられるものに出会える時があって。それは、自分がいた金融の世界のようなロジックの世界の外にあって、ビルの中にいては出会えない、動画でも伝わりきらない、目の前に広がった時に体感するものがあります。

それは何も高い山に行く必要はなくて、信濃町に来るだけでも都会に住む人からしたら素晴らしい景色です。信濃町の森林セラピーは、本当に低強度で身体の負担なく、感動的な景色を楽しめるのでオススメです。

森林セラピー
科学的証拠に基づく森林浴のこと。森を楽しみながら、心身の健康を目指す楽しみ方で、信濃町では森林の保護や、「森林メディカルトレーナー」によるガイドの養成を積極的に行っています。

『信州信濃町 癒しの森』WEBサイト https://iyashinomori.main.jp/

普段あまりアウトドアをしないという人は、「アウトドア=辛い」というイメージがあるかもしれません。 まずは、ちょっと裏山に入ってみるとか、ガイドしてくれる人について行く、くらいのところから始めると魅力を発見しやすいんじゃないでしょうか。

それで興味を持てば体力をつけて、もっと高いところに行ったらまた違う景色が見えてきます。いきなり高い山を目指したり、道具を揃えたりするところから始めるのはハードルが高いと思うので、近くの神社とか、コンクリートから離れて未舗装の道に行くだけで、僕はアウトドアだと思います。

――今のお仕事や活動はどんなことをされていますか?

冬場はスキー場でパトロールの仕事をしたり、ガイドの仕事や山の撮影の手伝いをしたり、本当にいろいろなことをしています。仕事がトレーニングにもなるので、軸はアウトドアにしたいと思っています。先日は地元テレビ局の依頼で、黒姫山を紹介しました。

仕事以外では、山道の環境保全活動など、自分の活動の場である自然を守ることと、自然とつながる体験をしてもらうことを、今後はもっと広げていきたいです。身近なところでは、子どもたちや海外の方、障がいを持った方など、日本の自然体験から少し遠いような人達に、ただ自然の中にいて何かを感じとって「なんて素晴らしいんだろう」ってより多くの人に思ってもらいたいと思っています。

――信濃町で、気軽に自然を体験したいアウトドア初心者にオススメの入口といったらどんなものがありますか?

森林セラピーは確実にそうですね。あと、サウナとか。野尻湖畔に行くだけの気軽なドライブでも充分だと思います。本当に自然が近いので、色々な選択肢があります。

日常にある冒険で挑戦と失敗をしてみる

――人生という点でも、実は冒険に憧れながらも“踏み出したいけど踏みとどまっている”方って実は結構多いのではないかと思うのですが、そんな方にメッセージをいただけますか?

「自分には冒険なんてできない」と思っている人も、案外、日常生活の中で意識しないくらい小さな冒険はしているのではないかと思います。

例えば、先日たまたま初めて入った食堂があったんですが、僕たちが入った時には駐車場に車が一台もなくて、内心すごくドキドキしながら出てきた料理を口に運んだんです。するとこれがとてもおいしくて。お店を出る頃には混んできて、実は人気店だったという、そんな体験をしました。 今は情報が溢れていて、マップやレビューを見て大体予想がつくような世界になっているからこそ、こうした些細な日常の体験でも、その時のドキドキやワクワクする気持ちや自分が行動した理由を分析してみると、意外と自分なりの「冒険」のヒントがあるかもしれません。

留学先のトロント(カナダ)では、「とりあえずやってみよう。失敗してもいいじゃない 」という考えの人が僕の周りに多くて、プロジェクトを始める時も、海外の友達には「めちゃくちゃいいね!」って言われました。一方で、日本の方に話すと、「何のためになるの?」って言われて。海外に比べると、日本では失敗を良くないものと思っている人が多いように感じます。それはそもそもの物事の捉え方が違うからなのではないかと。僕は、海外で自分の考え方をいい意味で変えてもらったし、その経験がなかったら冒険へ踏み込めていなかったかもしれません。

極限的な冒険では失敗が死につながってしまうので、それ相応の準備が必要ですが、日常のちょっとしたことなら「別に失敗してもいいんじゃない」って僕は思います。もし失敗してもネタにするぐらいのつもりでいると、もっと色々な挑戦ができるのかなと。 僕の経験では、失敗があっても、必ず発見があったり、別の何かにつながったりします。

――最後に、今後やりたいことについて教えてください。

家を建てたいです。狩猟や野菜作りも、もっとやっていきたいし、雪国の保存食の知恵を教わって冬に1か月くらい夏に採れたものだけで生活する経験も挑戦してみたいです。

プロジェクトについて言えば、来年の春にエベレスト登山を計画しています。資金調達には毎回苦労しているので、スポンサーシップのお話はいつでも受け付けています(笑)!

1人で活動していると無力感を抱くことが多いので、イベント企画など色々な形で応援してくださることがとてもありがたいし、嬉しいです。 だからこそ、得られた体験をもっともっと精力的に伝える活動をしていきたいと思っています。

まとめ

「冒険家」の方に会えるとあって、どんな方かとドキドキしながらお会いしてみたら、とても気さくな好青年。物事の捉え方や言葉選びがとてもユニークで、豊富なエピソードと巧みな話しぶりに、どんどん引き込まれた取材でした。

お話を聞くだけでワクワクして、縁遠かったアウトドアの世界が一気に身近なものに感じられました。今後の挑戦も応援しています!

ライター えの

埼玉県北本市出身、地域おこし協力隊として2017年〜北信地方に移住。
お買い物や癒しを求めに、山ひとつ越えてよく遊びに来る信濃町の素敵な“ありえない”を文字にのせてお届けできたら嬉しいです。

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