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訪れてみたら、好きになった。オリンピック2大会出場、宮沢 大志さんが送る信濃町での暮らしとは

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訪れてみたら、好きになった。オリンピック2大会出場、宮沢 大志さんが送る信濃町での暮らしとは

ウィンタースポーツにどっぷりハマって、夏は都市部で働いて、冬になると雪山に篭ってひたすら練習。そんなスノーボーダーやスキーヤーの方々の中には、「ここに住んだらもっとたくさん練習できて、もっと早く上手くなれるんだろうなあ」と、雪国への移住の選択肢が常に頭の中にある人も多いのではないでしょうか。

今回ご紹介する移住者は、クロスカントリースキー日本代表として、オリンピック2大会の出場経験をもつ宮沢大志さん。

宮沢さんは結婚を機に、信濃町への移住を決めました。雪国の信濃町でオリンピック選手はどのような生活を送っているのか、信濃町でのリアルな生活事情をお伺いしました。

今回インタビューした方

気候も良く、信濃町での生活は「最高」

――移住先として、信濃町を選んだ理由を教えてください。

元々は信濃町のとなりの妙高市に住んでいました。クロスカントリースキーをやっていて、当時の練習拠点が自宅から車で20分ほど信濃町方面に移動したところで。信濃町内でローラースキーで練習をしていました。
結婚を機に家を探すことになって、ちょうど練習拠点の近くに良い家があって信濃町を選んだという形です。それに、雰囲気や街並みもきれいで。あとは妻が仕事で東京に行くこともあったので、交通の便も考えて、総合的に「信濃町がいいね」となりました。

――信濃町の生活はいかがですか?

一言で言うと最高ですね。僕はとにかく暑いのが苦手なので、夏が涼しい信濃町の気候がちょうどよくて。妙高などに比べると雪が多すぎないですし、気候が本当に大きいです。

選択肢が限られ、家探しには一苦労

――信濃町での生活で、困ったことはありますか?

住むところの選択肢がない点は、困りました。元々は賃貸を考えていたんです。ペットを飼っているんですけど、ペット可の賃貸物件ってそもそもなくて。並行して空き家もいくつか見たのですが、状態や金額の面で入りやすいところがありませんでした。

――家探しに苦労されたとのことですが、現在のお住まいはどのようにして見つけられたのですか?

「ありえない、いなかまち」の住まい情報で見つけました。僕も妻も家を買うことには抵抗があって、結構ハードルが高かったです。信濃町に何年住むかも分からなかったですし、2〜3ヶ月ぐらい悩んだと思います。でも、条件的に「ここ以外ない」と思って、決めました。

――実際に購入されたのは、どのようなお家なのでしょうか?

築50年ぐらいの家屋ですがすでに改修されていて、お風呂やトイレはきれいですぐに住める状態の物件でした。当初500万円で売りに出ていたのですが結局400万円で購入できました。手直しにも少し費用がかかりましたが、町のリフォーム補助金制度が利用できて助かりました。

住宅リフォーム支援事業

町内の経済活性化および町民の住環境の向上を図るために、町民の皆さんが町内の業者を利用して行う住宅のリフォームに対して、その費用の一部を町が最大25万円補助します。

――信濃町は日本有数の豪雪地帯ですが、除雪は大変ではないですか?

実は移住して最初の2年は、除雪機なしで過ごしていました。けどまあ、大変でしたね。しかも僕、冬は試合のために海外や北海道に遠征することが多くて、基本的に家にいないんですよ。信濃町に帰ってきても一週間ぐらいでまたすぐにいなくなる、という感じで。

――それは大変。

その間は近所の人に助けてもらっていました。だから、どこか遠征に行くたびにお土産を買ってきて、近所の方々に「ありがとうございます! またお願いします!笑」と配っていました。

「強くなりたい」の一心で、キツイ練習も乗り越えてきた

――試合のない期間は、どのように過ごされているのですか?

シーズンスポーツなので冬まで大きな大会はないのですが、試合よりキツイことを練習でやっていかないと強くはなれません。夏場から雪上に上がる11月までに、どれだけキツイ練習をするのかが大事です。走るのは2時間がベースになっていて、距離にするとだいたい20kmほど走っていました。他にも、タイヤのついたローラースキーで走る練習などもしていました。

――キツイ練習を頑張れる原動力は、どこからきているのでしょうか?

「強くなりたい」という気持ちがモチベーションになっています。でも、試合まで長いスパンでキツイ練習をしないといけないので、つらい部分もあります。

――メンタルトレーニングは、何かされていたのですか?

全日本のプログラムでメンタルトレーナーに習うこともあったのですが、そこまで深堀りはしてきませんでした。メンタルトレーニングをやっている人からは「やった方がいい」と言われるんですけど、一人で毎日2時間走り続けている時点で十分メンタルトレーニングになっていたと思います。

悔しさをバネに、トップを目指してクロスカントリースキーの道へ

――クロスカントリースキー選手を目指そうと思われたのは、どのようなきっかけがあったのでしょうか?

いろんなスポーツをやったなかで、一番うまくいかなかったのがクロスカントリースキーだったんです。小学校の時は野球、陸上、アルペンスキーをしていて、どれもそれなりに上手くいって楽しいなと思えました。でも、クロカンは毎回2位で悔しくて、悔しい、絶対勝ちたいと強く思って。あと、クロカンってゴールしたときの達成感がものすごく大きいんです。子どもながらに「ああ、これは気持ちいいな」と感じました。

小学生時代の宮沢さん

――悔しさがバネになっているんですね。クロスカントリースキーは3〜4名の選手でチームを構成するそうですが、同じチーム内の選手間でも、負けたくない気持ちはあるものでしょうか?

ありますあります。僕はとにかく負けず嫌いで、全員蹴散らしたいという思いでやっていました。高校生の頃の敵って他の学校の選手じゃなくて、目の前にいる同じチームの先輩なんですよ。というのも、学校から全国大会に出場できる人数が決まっていて、10人以上いるメンバーの中から4人しか出場できないんです。だから、その4人の中には絶対入らないといけないという思いがありました。

――高校卒業後、大学はクロスカントリーのトップ選手が集まる、早稲田大学に進学されたんですよね。

はい。高校時代にはインターハイで優勝することができたのですが、トップ選手ってその時期に世界の大会に行ってしまうのでインターハイでは戦うことができなくて。 だから、トップ選手と戦って、勝ちたいという気持ちが残っていました。

――早稲田には全国からトップ選手が集まってくるのが進学先として選んだ理由と。大学も高校と同じで、校内から試合に出場できる人数って決まってるんですよね?

そうです。進学を考えているときに「早稲田なんか行ったらどうせ校内選考で落ちるでしょ」って煽ってくる人とかもいて、悩んだ時期もありました。でも、あるOBの方に「そもそも校内選考で負けてる時点で選手として先はないんだから、飛び込んで行った方がいい」と言われて。「ああ、確かに」と思って早稲田への進学を決めました。

スキーの世界を離れ、社会で学ぶことを決意

――進学以降は全日本スキー選手権大会での10回の優勝成績をおさめ、数々の世界選手権大会、またソチオリンピックや北京オリンピックの出場など、輝かしい功績を残されています。その後2022年に引退を発表されていますが、引退後のキャリアについては、どのようにお考えですか?

長野の自動車ディーラーで、セールスとして働く予定です。

――そのお仕事はスキーと関係あるものですか?

まったく関係ないですね(笑)。引退を発表してから1年間、スキー関係のコーチをしていたのですが、その先に続くポジションが見えてきませんでした。年齢的にも取り返しのつくうちにスキー以外の仕事で社会を学ぼうと思って、セールスとして働くことにしました。妻が「好きなことをやっていいよ」と言ってくれたのも大きくて。

――元々、車関係の仕事には興味があったのですか?

遠征で海外に行ってる間は車のYouTubeしか見ていないほど、元々車が好きだったんです。妻から「何でもやっていいよ」と言われて、何をやりたいか考えた時に「車を売ってみたい」と思いました。

――車を売る以外にも、興味があることはあったのでしょうか?

スキーのコーチングを続けることにも興味はあったんですけど、正直すごく小さい業界で、コーチだけで稼ぐのは厳しい面もあります。お金以上のやりがいが大きくて、好きな仕事だったんですけどね。

――今後は競技からは完全に離れるのですか?

いま中央大学のコーチをしていて、今後も名簿には残る予定なのですが、どこまで現場に出られるかはわかりません。トレーニングプログラムを渡す形で、競技に関わっていくのかなと思います。

引退を迎えた今、スキー人生のなかで最も自在に体を操れるようになった

――現場での指導から離れても、クロスカントリースキーは続けるのですか?

ダイエット程度には続けようと思っています。競技人生は終わりましたけど、実は人生の中で、引退した今が一番体を自在に操れているのが面白くて。頭で考えたことを全部体で表現できる状態なんですよね。このコンディションで秋にローラースキーの大会に出場したら優勝しちゃいました。

――すごいですね。引退した今になって体が自在に動くのは、なぜなのでしょうか?

ずっとインプットし続けてきたものを、アウトプットする機会が突然きたからだと思います。選手に教えて、できないならこういうふうな考え方をしてみたらどう? というふうに伝えて、今度は自分で鍛えてやってみようというサイクルを繰り返すなかで、最善な方法に出会えた気がします。

――コーチを経験して、考えを言語化する機会があったことが大きかったということでしょうか?

そうですね。それが大きいと思います。

競技を離れ、初めて信濃町で冬を過ごして感じた思い

愛犬のテスと。黒姫高原スノーパークには犬と一緒に滑ることができるエリアがある

――信濃町でスキーをする上で、特におすすめの場所はありますか?

クロカンって、雪がカチカチになると田んぼの上でも山道でも、どこでも滑れるんです。去年の信濃町は雪が多く道路も雪で真っ白な状態だったので、よくスキーを履いて犬の散歩をしていました。日本でそんなことができる場所はなかなかないですし、信濃町の魅力だと思います。

――信濃町での生活で、一番好きな季節はいつですか?

春か秋です。

――冬ではないんですね。なぜ、春と秋が好きなのですか?

春は競技が全部終わって、心がリフレッシュするんです。だんだん気候も暖かくなってきて、雪がなくなって過ごしやすくもなるし。秋は暑かったのが、だんだん涼しくなってきます。あと、信濃町は結構森が多くて、秋になって葉っぱがなくなると「お、こんなところに家があるんだ」とか、新たな発見が多くて楽しいんですよね。

――好きな季節として、冬を挙げなかったのはなぜですか?

信濃町で冬を過ごしたのは、今年がはじめてで。競技をやっていたときは緊張の糸がピンピンに張っていて、冬を楽しんだことはありませんでした。これからは選手ではなく一般人として冬を過ごしていくので、季節に対する気持ちも変わっていくかもしれません。

深く考えず、信濃町に来て空気を感じてほしい

――子育てにおいては、信濃町の環境はいかがですか?

不便はないです。子どもの人数が都会に比べて少ない分、親身になって話を聞いてくれる人が多いですね。町の保健士さんもとても親切で。都会での子育ては絶対無理だよね、と妻とよく話しています。住む前は「信濃町に何年住むかわからないし」と思っていましたが、今は信濃町から動くことは考えられないですね。

――信濃町に移住することを検討している人に向けて、何かアドバイスはありますか?

信濃町は、良くも悪くも何もないところです。自然や景色はすばらしく、雪山も湖もあって、海も割とアクセスがいい。でも、お店などがたくさんあるわけではありません。僕も吟味して信濃町に来たわけではなく、来てみたら信濃町が好きになったので、まずは何も考えずにとりあえず来てほしいなと思います。周りの移住者の人を見てもすごく楽しそうな人が多くて、来てみたら楽しくやっちゃうぞみたいな人が多いので、あんまり深く考えなくてもいいのかなと思います。

――信濃町への移住を検討するにあたって、注意点などはありますか?

信濃町の中でも場所によって積雪量が全然違うことは、頭に入れておいた方がいいと思います。たとえば野尻や古海などは町内でも雪深い地区ですが、長野市寄りの富士里地区などは比較的雪が少なくて、場所によっては除雪機がいらない可能性もありますね。

――信濃町に移住されてから、何かご自身の中で変化は感じますか?

コミュニケーション能力が上がったかなと思います。夜ごはんに誘ってもらったりして、誰かのお家にお邪魔することも多くなりました。信濃町に来なかったら、いろんな年齢層の方と話す機会もなかったと思います。

――今後は信濃町で、どのように暮らしていきたいですか?

子どもがスキーが好きなので、冬のスキーをはじめ信濃町でしか経験できないことをいろいろ楽しませてあげたいです。あと信濃町にはクリエイティブで面白い人が集まっているので、一緒にお酒を飲んで、刺激を受けて生活していきたいですね。

まとめ

宮沢さんのようにウインタースポーツに打ち込んでいる人にとって、信濃町は最高の環境。

またスポーツ以外にも大きな犬を家族に迎えられたり、ゆとりのある環境で子育てをスタートされたりと、人生を素敵な方向に拡張されているのが印象的でした。

「来てみたら信濃町が好きになった」というのは、宮沢さんを含め移住者の方々がよくおっしゃる意見です。移住したいな、という考えが頭に浮かんだら、まずは暮らしはじめてみるのが一番な近道なのかもしれません。

雪がとけたこれからの季節は物件情報も多く出てくるので、物件や生活環境の下見がてら信濃町に遊びに来てみると、人生が広がるきっかけになるかも。

雪国への移住を検討されている方は、一度信濃町に遊びにきてみてはいかがでしょうか。

町民ライター 観音クリエイション

ヒップホップのトラックメーカー、ライター。音楽を作ったり、写真を撮ったり、文章を書いたりして生きています。2020年8月より長野県信濃町に移住しました。

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