ありえない、仕事
日々の暮らしがインスピレーションの源に。絵本作家いのうえかなさんが営む湖畔のお店を訪ねました
信濃町は童話作家のいわさきちひろさんをはじめ、さまざまな作家や画家、アーティストが創作活動を行ってきた場所として知られています。
最近でも、クリエイティブな仕事をされている方が、静かで自然豊かな環境での生活や、自分らしい暮らしの実現のために信濃町に移住してこられた、という話を耳にすることは少なくありません。
絵本作家のいのうえかなさんもその一人。
以前は関西を中心でアート活動をしていたという彼女は、3年前に信濃町に移住後、自らの暮らしを発信する方法のひとつとして、絵本の制作を開始。絵本作家として活動するかたわら、2021年7月に絵本屋「Fantasia Books & Coffee」をオープンし、自身の絵本や国内外からセレクトした絵本を販売されています。
今回はいのうえさんに、創作活動の場所としての信濃町の魅力や、子育てやご家族との暮らし、そしてご自身のお店を持つに至った経緯についてお話を伺います。
今回インタビューした方
はじめて根をおろすことができた、自分が自由でいられる場所
――可愛らしいお店ですね。湖のそばにこんな物件があったとは知りませんでした。
ありがとうございます。信濃町に来てすぐの頃に湖の近くを散歩していたときに、たまたまこの家の持ち主さんに出会ったんです。その当時、夫の家族が持つ信濃町の山荘(別荘)を改装しようとしていたので、その山荘の改装中にこの家を住まい兼アトリエとして利用させてもらうことにしました。でも、この家の場所やサイズは何かお店をするのにぴったりだとずっと思っていたので、自分たちの住まいが整ったタイミングで、ここをギャラリーショップにすることに決めました。
――信濃町との出会いはその山荘がきっかけですか?
そうです。夫は小さなころから家族と一緒に野尻湖畔の村に通っていたので、野尻湖は夫の第二のふるさとなんです。わたしがそちらに招待されてはじめて信濃町に来たとき、「なんて素敵なところなんだ」と思ったことを覚えています。空気や自然がとても良くて、思い出深い夏を過ごすことができました。その後、夫がその山荘を改装することになったことがきっかけで、移住しました。
――信濃町に来ることに抵抗はなかったですか?
全くなかったですね。それまでは長野に住むとは思っていなくて、いつか関西に帰るんだろうなと思っていました。でも、夫の大好きな場所が信濃町にあって、わたしもそこを好きになったので自然な流れでここに住むことになりました。
わたしが生まれ育ったのも、京都の田舎で、海に近く自然に恵まれたところだったので、(信濃町に住むことに)抵抗は全くなくて、実際住んでみて、こういうところが自分に合っているんだと再確認しているところです。これまでいろんなところに住んだり、旅をしたりしてきたので、これからもいろんなところに行きたいと以前は思っていましたが、信濃町に住んではじめて根をおろすことができたように感じています。
――信濃町のどんなところが、自分に合っていると感じますか?
信濃町はそのままの自然が残っていることが多いんですよね。広葉樹が多いし、大きな山があって、湖もあって。家族で一緒に過ごしたり、子育てをするには、のびのびと自由でいられるありがたい環境です。
たとえば今自分たちで畑や田んぼをやっていますが、都会でもできる場所や方法があったはずですが、辿りつくことができませんでした。信濃町ではゆっくり丁寧に人とつながることができて、畑や田んぼの持ち主とご縁を結び始めることができました。
それで、自分たちが食べたいお野菜やお米を、自分たちの手で作って食べることができる。そういったところが自由で、自分に合っていると感じています。
――自分がやりたいことをすぐ実行できる、というのはまさに自由ですね。
仕事についても、都会にいたときは、自分がやりたいことと現実のいろんなことの狭間ですごく忙しく振り回されていたように思います。こっちに来てからはそれを変えたくて、自給を増やしてシンプルな生活をはじめました。ありのままの自分で、自分のペースでやりたい仕事を作りあげていくことができるようになりました。
絵本の制作を始めたのも、信濃町に来て、ライフスタイルをわたしたちが望んでいたものに変えることができたので、それを発信したいという気持ちからでした。
土に触れて、森を歩いて。生活の中にある自然から得るひらめきや学び
――発信の方法として、絵本を選んだのは何か理由が?
以前からずっと絵本を描きたいと思っていたのですが、20代の頃は物語が断片的にしか浮かんでいなかったんです。でも、この町に来て初めての冬に感動して、その気持ちからシンプルな物語ができあがったことがあって、それをきっかけに気持ちが高まりましたね。また、絵本であれば、冬の間じっくり作品に向き合って、1年に1作品という形で発表を考えているので、この町での暮らしに合っているということも大きかったです。
――信濃町に来てから断片的だった物語がつながったんですね。どんなところからインスピレーションを得られたんですか?
土を触ることが一番の原動力になっているように思います。畑や庭で過ごしていると、目線が虫の目線になったり、朝露の小さなしずくにさえ感動して、物語が生まれたり、毎日の暮らしからひらめきをもらっています。
あと、信濃町にきてから娘が生まれたことで、子どもはこういうことに反応するんだということを教えてもらっていますね。葉っぱの小さな穴とか、すごく細かいところに目がいくんだなって。
それまでは自分が捉えている目線で描いていたけれど、今は子どもたちが冒険・探検してもらえるような、小さな発見を楽しめるような絵本を描くことを意識するようになりました。ここにこんな虫を描いたら、子どもたち気づくかな~、とか。
――お子さんとの日々の生活からそういったアイディアが生まれているんですね!田舎での子育てをどのように楽しまれていますか?
春は雪解けを楽しみ、畑をはじめ、夏は湖で遊ぶ。秋は山の色の変化を味わい、お米の収穫。冬は寒さを知り、火をつくり、雪で遊ぶ。自然から教わり、自然と遊ぶことが、私たちにとっては大切なことです。
――四季を通して自然から学ぶことってたくさんありますね。
ここだと生活の中に自然があるのが当たり前で、虫や木の実が生活の一部なんですよね。そうするといろんなことが起きます。
たとえばある日森を散歩していたら、うちの娘が転んだところに栗が落ちていて、栗のトゲがひざこぞうに刺さっちゃったんです。そういうのが一つ一つ学びになって、「これは痛いもの」って人に教えられるのではなく、自分の経験として理解していくんですね。受動的でなく、自分たちで発見してほしいと思っているので、そういう点では田舎は自主性を養うのにいいのではないかと感じています。
絵本を通じてサステイナブルなライフスタイルを提案したい
――あらためて絵本屋のオープンおめでとうございます。お店を開く構想はいつごろから練られていたんですか?
信濃町に住みはじめたころはギャラリーショップを考えていました。以前は、各地で展示会もしていて、そこで絵の展示販売もしていたので、展示会のたびに原画をもってあちこち移動していました。ですが、この町に住み始めて、田んぼや畑を始めたことで、常にここに居たいと思うようになり、自給に繋がる暮らしをしたいと強く思うようになりました。
それで、自分のギャラリーで展示発表をしていきたい、自分の絵本を自分の場所で発表していきたい、と考え、このアトリエを改装する準備が整った昨年、起業塾(※)に通いはじめました。
※「起業塾(起業等人材育成支援事業)」とは
信濃町で新しい事業を起こす起業家の方、または既存の経営の改善・変革となる「第二の創業」を目指している経営者の方、若手経営者及び後継者、幹部育成のために、経営者としての心構え~収益性・資金調達方法~経営計画(ビジネスプラン)作成までを具体的な起業事例等を交えながら、体系的に学ぶ機会を提供し、参加者の起業等に対する包括的な支援を行ないます。
それまで自分の絵本をビジネス的に捉えたことがあまりなかったのですが、起業塾では収支など具体的な話が出てきたので、そういう点を考えるよい機会になりました。ママ友の中にも起業塾に興味のある人たちがいて、何かを始めたいというときに、後押しになる支援制度があるのはいいですね。
――起業塾を受講し、お店の開業がより具体化したんですね。お店では、ご自身の絵本の発表だけでなく、他の作家さんの絵本の販売もされていますが、今後どんな場所にしていきたいですか?
絵本はわたしがセレクトしているのですが、テーマとしては、自然や動物とのふれあい、畑や自給自足、サステイナブルなライフスタイルを表現しているもの、例えばものを大切に長く使うことを描いているものなどを選んでいます。古いもの新しいもの関係なく、キーワードを絞って、英語と日本語のものを集めています。
「Fantasia Books & Coffee」は信濃町の中でも文化の発信の場でありたいと思っていて、絵本を通してサステイナブルなライフスタイルを提案していきたいです。例えば以前、ここで蜜ろうベンガラクレヨンづくりのワークショップをしたことがあるんですが、そういう風に、こどもたちが安心して何かを学び楽しむことができて、創造力を膨らませることができる場所でありたい。自分の好きなお勉強をここに持ってきてやってもらってもいいんですよ。
――ワークショップをされたり、コーヒーの販売もされたり、大人も子どもも楽しめる場所になりそうですね。
絵本が好きなひとも、コーヒーが好きなひとも、そうでないひとも、ここに来たら明るくなって、素敵な一日だったなと思えるような、ひだまりみたいな場所になればと思っています。
みなさんぜひ気軽に遊びにきてください!
まとめ
自分たちのやりたいことを自分たちの手で少しずつ実現していく、いのうえさんとご家族。今回お邪魔したお店も、いのうえさんの旦那さんが中心となって改装をされたそうですが、どこかノルタルジックな気持ちにさせてくれる、包み込むようなあたたかさのある空間でした。
この数年でリモートワークをされる方が増え、あまり大きく仕事や生活を変えなくても地方移住をすることも可能になってきました。それによって地方移住のハードルが下がったとも言えますが、いのうえさんのお話を聞いて、住む場所を変えることは、本当にやりたかったことに向かって、今までとは違う暮らしを始めるチャンスでもあると気づかされました。
何か新しいことを始めてみたい方、信濃町に自分に合う場所がないか探しに来てみてはいかがでしょうか。
Fantasia Books & Coffee (ファンタジアブックスアンドコーヒー)
住所:長野県上水内郡信濃町野尻261-2
営業日:夏季の水・金・土曜
Instagram:
@fantasia.books
自然との暮らしを描いた絵本の出版や、国内外絵本のセレクト販売、自家焙煎珈琲豆を使ったラテやロースイーツも楽しめます。