ARTICLE
ありえない信濃町通信

TOP > ありえない信濃町通信 > 季節ごとに仕事を変える!? "シーズンワーク"という田舎的仕事スタイル。

季節ごとに仕事を変える!?

ありえない、仕事

季節ごとに仕事を変える!? “シーズンワーク”という田舎的仕事スタイル。

信濃町に住むヒロと申します。栃木県出身で、「長野県民になる!」という憧れを胸に、群馬県や長野県内を転々と住んでみたのち、今は信濃町に住んでいます。朝はカエルや鳥の鳴き声で目を覚まし、山菜採りやアウトドア、ウィンタースポーツを楽しむ田舎生活を送っています。

 

信濃町にある斑尾山の山頂の様子。

 

ところでみなさんは、「季節ごとに働き方を変える」という働き方って、どう思いますか? 「季節労働」という言葉がありますが、もしかしたら、あまり良いイメージを持っていらっしゃらない方も多いのではないかと思います。特に「不安定そう」という声は、けっこう聞こえてきます。

私はいま、信濃町の隣の長野市で夏はキャンプ場、冬はスキー場で仕事をしています。

長野エリア、特に信濃町の場合は“特別豪雪地帯”で、積雪量の多さには定評のある地域です。それゆえ、冬になるとできない仕事も多いです。なので、「冬に仕事ができない人は、どうしているの?」という疑問もあるかと思います。

そこで、この記事では、北信州あたりを転々としたのち信濃町に移住した私の視点で、「季節ごとに働き方を変える=シーズンワーク(※私が勝手に名付けました)」というライフスタイルについて、自分の経験を踏まえて書いてみようと思います。

 

「季節ごとに働き方を変える」という働き方に入ったきっかけ

最初にも書いたとおり私は栃木県出身で、大学のときは埼玉県へ通っていました。スポーツが好きで、当時はスポーツ店でアルバイトをしていたのですが、アルバイト先にスノーボードをやっている人が多く、私もその影響で大学生2年生のときにスノーボードを始めました。間違いなく人生のターニングポイントで、これがなかったらこの記事も生まれていないことでしょう。

初めてのスノーボードは「木の葉(※)」もままならなかったですが、次の日にはスノーボードの板を買いに行っていました。バランスを取りながらボードを操作するという、新しいジャンルのスポーツにすっかり魅了されてしまったのです。それからは群馬県や長野県のスキー場に通い、時には1人で行って練習したりして、早朝からナイターまで1日10時間くらいひたすら滑ったりもしました。

※木の葉:ボードを横向きにした状態で、ターンせずにゆっくり斜面を降りていく滑り方。スノーボード初心者が最初に習うことが多い。

週1くらいでスキー場へ行っていたので、「スキー場に住めたら移動時間もなくて、好きな時に滑れるのに……!」と思っていました。

「スキー場に住む? そんなことできるの?」と無知だった私は、情報収集をした結果、「リゾートバイト」という働き方を知ることに。期間限定で知らない土地に行って働く。新たな出逢い、見たことのない景色などなど……好奇心を搔き立てられる内容でした。

その反面、フリーター、つまり非正社員=不安定、という印象もある。その不安要素だけは、自分の中でどうにもポジティブに変換できませんでした。

 

初スノーボードの翌日に購入した板。
初スノーボードの翌日に購入した板。ビンディングは頂き物。

 

就職活動とリゾートバイト

そんななか、大学3年生を迎えて就職活動の時期に入り、壁にブチ当たります。

好きなことをして生きていきたいという理想、大学に行ったからにはちゃんとした会社で安定して働かなければいけないと思ってしまう現実……。 理想と現実に挟まれてモヤモヤしながら、本当にやりたい仕事は何なのかもわからず、都内の人ごみを慣れないリクルートスーツで歩き回ることにも、窮屈さを感じていました。答えがわからないまま大学卒業も迫り、駆け込むようにして就職先を決定してしまいました。

しかし、就職したのもほんの一瞬。やってみたいことを我慢できるほど大人ではなく、すぐに会社を辞めてしまいました。

その後、リゾートバイト派遣会社の登録し、秋から新潟県のスキー場にあるホテルのレストランで「リゾートバイト」をすることになりました。

そこには、地元の人もいれば、四国や東北から来ている人もいました。そんな遠い所の人と会ったことないなと思うと同時に、自分はなんて狭い世界にいたんだろうと感じました。

当時は、下記のようなスケジュールで働いていました。

▼スキー場のレストランでの勤務スケジュール

6:00~10:00仕事(朝食会場での配膳・片付けなど)
10:00~17:00中抜け(休憩時間)
17:00~ 21:00仕事(夕食会場での配膳・片付けなど)

 

真ん中にある「中抜け勤務」とは、早朝勤務と夕方勤務の間に長い休憩時間を設けて、1日8時間勤務が守られる勤務形態です。初めて経験する勤務スタイルで、4時間勤務で区切るのでちゃんと集中できてメリハリがつくし、「なんて効率的なんだ!」と思いました。この中抜けの時間にスノーボードをしたり、散歩したり、昼寝をしたりしていました。毎日、数時間でも滑れることが嬉しかった記憶があります。

 

晴天のゲレンデ山頂で、青い空と真っ白い雪山を背景に記念撮影。雪を被った冬の山は、凹凸がはっきり見える。

 

スノーボードだけしかやっていない状態だったら、プロでもないので“ただ遊んでいる人”のようになっていただけかもしれません(そもそも金銭的にもやっていけない)。働いて、ちゃんとお金を稼いだうえで好きなことをやる。それができないなら好きなことなんてやっちゃいけない、と思っていました。でも、このリゾートバイトでは仕事も、好きなことをやる環境も完璧に揃っていました。

寮も食事込みで1日1000円ほどで、まかないもあってお腹を空かせた記憶はありません。山の中にいたので、周囲にはお金を使うお店もありません(笑)。

貯金もちょっとずつできて、「リゾートバイトのような不安定な雇用形態だとしても、生きていけるかもしれない」と感じ始めました。正社員で稼いだ1000円も、バイトで稼いだ1000円も、1000円に変わりはない。そんなふうに楽観的に考えられるようにもなってもいました(のちに正社員の利点を知ることにもなるのですが)。

このまま数年くらいならリゾートバイト生活を続けても暮らしていけるだろうし、他の土地にも行ってみたい。せっかく就職した仕事を辞めたことにより、「もう何も失うものもない」くらいに思っていました。

 

新潟県でのリゾートバイト先で住んでいた寮。雪深い地域のため、1階は車庫、2階以上が部屋。
新潟県でのリゾートバイト先の寮。豪雪地帯なので造りはしっかりしています。

 

本格的に夏と冬で仕事を変える働き方を実践

冬の雇用契約期間が終わり、春から秋の仕事探し

しかし、スキー場のレストランの仕事は、3月末まで。雇用契約が終了を迎えてしまいました。つまり無職です。

次の仕事を探しているところに、友人から「農家の高原野菜直売所で働かない?」という誘いがありました。群馬県と長野県の県堺で、山も綺麗に見えるロケーションと、春から秋までの期間限定ということもあり、即決しました。

そして、前の冬にはスノーボードインストラクターの資格も取っていたので、長野県のスキー場でスノーボードインストラクターとして寮完備の働き先も見つかりました。これで1年の働き先が確保できました(ニヤリ)。

毎年同じ勤務先で雇用してもらう“季節労働スタイル=シーズンワーク”で、その後は約7年ほどこの生活を続けることになります。

名産のキャベツを陳列した写真。たくさんのキャベツがコンテナに入れられて売られている。
繁忙期の夏は、名産品の農作物をひたすら並べて補充をします。

 

他にも、季節ごとに働き方を変えている人が見つかる

実際に自分自身がシーズンワークしてみると、色々な職種があることがわかりました。ウィンタースポーツ以外の時期は農家、林業、建設業、観光業などなど、その季節でしかできない仕事をうまく組み合わせて成り立たせている人が、群馬や長野にはたくさんいたのです。自営業の方も、けっこう多いです。

米農家×ウィンタースポーツインストラクター、りんご農家×リフトマン、ゴルフ場管理×道路の除雪……そうしてシーズンワーカーとして働いてる方たちに何人も出会って、自分が抱えていた「季節労働は不安定なんじゃないか」という気持ちも薄れていきました。

 

インストラクター時代、ゲレンデを背景にレッスン受講生と一緒に撮影した写真。

 

【余談】荷物について

ちなみに、春から秋は群馬県、冬は長野県。1年に最低2回は引っ越しをする必要がありました。暖かくなったら群馬県へ移動して、寒くなったら長野県へ移動する。まわりの人に「渡り鳥みたい」「遊牧民のようだね」と言われていました。そんなリアル遊牧民のような生活で、当時とても重宝していたのがこちらです。

 

アイリスオーヤマの収納ボックス。画像はAmazonより。

基本的に生活用品や衣類は、この衣装ケース1個分に収まるように生きていました。ミニマリストってやつですね。この衣装ケースをそのまま送ることもできます。どなたかの今後の参考になれば幸いです。

 

そして、長野県民になる

それまでは1年のうち4か月くらいしか長野県で過ごしていませんでしたが、食べ物の豊富さ、山に囲まれた景色は、自分の求める環境だなと思っていました。長野県は米も農作物も果物も名産品があり、日本の屋根(北アルプス山脈)に守られているから台風の影響も受けにくいです。

群馬県で農家の仕事をしていたときは、台風で総倒れしたとうもろこしの収穫作業に泣かされていました。そのため、自分の中で“長野県・農業最強説”ができあがっていました。 そうして「長野に住めれば食べるものに困ることはない、長野県民になりたい!」という思いがどんどん強くなっていきました。

それを叶えるべく、群馬県での農家の仕事を辞め、長野市に引っ越しました。

長野市ではシェアハウスに住んでみたり、1人暮らしをしてみたり……。仕事は冬までの期間を繋ぐような働き方でした。長野では、ハローワークでの職探しでも意外と季節雇用の求人を見かけます。果物の選別、ハーブ園、養蜂場、ゴルフ場、さすが長野! と言いたくなる求人ラインナップです。

そんななか、現在の仕事に出逢います。グリーンシーズンはキャンプ場を、ウィンターシーズンはスキー場を年間通して管理・運営する会社です。 季節によって働くフィールドが変わるのです。

現在の職場、キャンプ場の受付にて。木造りのナチュラルな雰囲気。
現在の職場にて。

 

信濃町に移住した理由

信濃町を選んだ理由としてはまず、「名前がかっこいい」ということがありました。他にも移住先の候補はありましたが、長野県と言ったら信濃の國。信濃町は、真の長野を表す地名だなと勝手に思っていました。

……というのは半分は冗談で、決め手は信濃町から眺める山の景色です。独立峰がこんな近くにいくつもある環境はなかなかないですし、「山に守られてる感」も半端ないです。当時付き合っていた・現旦那も長野に移住したいと思っていて、先に信濃町の地域おこし協力隊になっていました。私の職場へも車で30分くらいで行ける。良い意味で、信濃町に住む以外に選択肢はないような気がしていました。

 

ゲレンデでスノーボードをする姿。
休日は近くのゲレンデにすぐ行けます。

 

夕暮れの黒姫山と水を張った田んぼ。田んぼに黒姫山と夕空が反射して鏡のようになっている。
仕事の帰り道も、こんなにも美しい景色が眺められます。

 

信濃町に暮らしてみて

今は築80年以上の古民家に住んでいて、やはり冬は寒いです。信濃町ではとにかく冬の生活が心配されがちです。冬は大変な分、夏は1か月半くらいしかありませんが快適です!

入居時に撮影した我が家。赤い大きな屋根、木造の古民家。

 

信濃町の「ありえない」冬の寒さを象徴するエピソードを列挙してみると、以下のような感じです。

  • 1年のうち10か月はコタツは出したまま
  • 家の中でも外気温とほぼ同じなので、暖房+ダウンを着て過ごす
  • トイレの水道管が凍結で破裂して、トイレ内で噴水状態になっていた(写真を撮らず後悔)
  • 大雪の時は1日2回、雪かきが必要な時がある
  • 庭からスノーシューを履いて出発し、裏山散策ができる

……こうやって書き出してみると、ものすごく不便なようでもあり、でも一方で楽しくもあるという不思議な感じかもしれません(笑)。

 

屋根雪が落ちた後の写真。地面から1メートル程積もっている。
大きな屋根から一気に雪が落ちてくると、すぐに1メートル以上溜まってしまいます。

 

スノーシューを履いて積雪時の真っ白い森の中を歩いている。
自宅の庭からスノーシューを履いて出発し、森を散策。

 

今の働き方について

現在の私は、キャンプ場とスキー場を運営する会社で働いています。受付業務、イベント・オリジナルグッズの企画、情報発信などが担当領域です。今までやってきた「季節に合った仕事をする」という根本的な部分は変わっていませんが、シーズンワークなのに通年雇用であるということを考えると、ようやく自分に合ったところに辿り着けたな、と思っています。

この働き方は、グリーンシーズンとウィンターシーズンで始まりと終わりの節目があり、メリハリをつけやすいのがよいところです。ゴール(営業最終日)が見えているので、どこまで頑張ればいいのかがわかって、気持ちが前向きになりやすいのです。

「でも、毎年、同じことの繰り返しになっちゃうんじゃないの?」
「飽きてきちゃうのでは?」

……そう思われる方も、いらっしゃるかもしれません。でも、実際にやってみて思うのは、去年の反省を今年に活かし、毎年バージョンアップさせて仕事ができるので、意外と繰り返しにはならないな、ということでした。ニーズや季節の流れに沿って、常に新しいことを考えて、挑戦して形にできています。

私の場合、オリジナルグッズの製作をやらせてもらっており、「今年はこんなのを作りたい!」ということを考えたり、作ったグッズをお客様がSNSで投稿してくれているのを見たりすると、すごくやりがいを感じます。過去数回、街で自分が考えたグッズを持っている方を見かけたこともあり、それもとても嬉しい経験でした。

 

作製しているオリジナルグッズの1つとして、強度の高いパラコードで手編みした熊鈴。
1つ1つ手編みしているオリジナル熊鈴。

 

とはいえ、デメリットもあります。それは、毎年2回はオフィスの引っ越しがあることです。毎回クローズしてからオープン準備をするということがセットになっているので、時間と労力もかかります。オープン準備は毎年、「去年はどうやってたっけ?」と記憶が曖昧なことも多いです(笑)。

 

会社員になってみて感じたメリット

季節雇用であれ通年雇用であれ、仕事は仕事なので、自分の仕事に向き合う姿勢は変わっていないと思います。ただ、保険・年金、そしてコロナ禍の休業補償など、労務面で細かい手続や手配を会社にやってもらえるのは、本当にありがたいです。これが世の中で言われる「安定」というやつなのか、と痛感しているところです。

 

シーズンワークという働き方、伝えたいこと

私が就職活動をしていた学生時代は、どちらかというと「季節労働なんて……」というイメージを持っていました。当時の私と同じように思っている若い方は、多いのではないかと思います。

ですが実際にやってみると、私のように意外となんとかなることもあり、自分の望む環境を手に入れられることもあるんじゃないか、と思います。それに、自分以外の人でも色々なところに住んで、フリースタイルな働き方をしている人は意外とたくさんいるものです。

信濃町は四季がはっきりした町です。季節や自然のサイクルに沿って生活し、季節を感じながら仕事をするのには、ピッタリの場所です。

季節とうまく付き合いながら仕事をする。それは信濃町に限らず、雪深い田舎ではむしろ安定した仕事スタイルなのかもしれません。

今は世の中の流れとしても、どんどん働き方が変化してきているので、シーズンワークもひとつの選択肢として捉えてもらえるようになるといいな、と思います。信濃町にはまだ色々なシーズンワークの組み合わせがあるはずです。

 

春の黒姫山と水を張った田んぼの景色。山には残雪がある。

 

もし本当に、いなかまちで仕事をしてみたいと思ったら、町役場などの公的機関が運営する職業紹介所に行ってみると、仕事情報がたくさんあったりします。「やってみようかな?」と思ったらぜひ、気軽に訪ねてみてはいかがでしょうか。

ちなみに信濃町の場合は、この「ありえない、いなかまち。」内にも仕事情報が載っています。

お仕事情報 Archive | ありえない、いなかまち

そしてもっと詳しい内容を知りたい場合は、信濃町無料職業紹介所に電話などで問い合わせをしてみてはいかがでしょうか。

信濃町無料職業紹介所求人情報 – 信濃町

というわけで今回はシーズンワークのリアルな事情について、経験者の立場からお伝えしてみました。それではまた!

町民ライター ひろ

栃木県出身、信濃町歴2年の会社員。
長野の自然に魅了され「長野県民になりたい!」という憧れを胸に長野北部を転々としたのち、信濃町にたどり着く。大自然に囲まれた信濃町の魅力を発信していきたいと思います。

\こんな記事も読まれてます!/