ARTICLE
ありえない信濃町通信

TOP > ありえない信濃町通信 > 55歳で早期退職、東京→信濃町へ移住。旅行業と不動産業を起業した柏原章宏さんに取材しました

55歳で早期退職、東京→信濃町へ移住。旅行業と不動産業を起業した柏原章宏さんに取材しました

ありえない、仕事

55歳で早期退職、東京→信濃町へ移住。旅行業と不動産業を起業した柏原章宏さんに取材しました

こんにちは!

2018年に、長野県・信濃町にUターンしてきましたライターの松下です。

都会から田舎への移住を考えたとき、「いなかまちで暮らしてみたいけど、仕事ってあるのかな?」と不安に思う方も多いのではないでしょうか。

でも実は、「いなかまちで起業する」という選択肢もあるのです!

今回は、実際に東京から信濃町に移住し、おひとりでふたつの事業を始められた「くろひめ観光トラベルプラン・不動産エージェンシー」の代表・柏原章宏さんのインタビューをお届けします。

柏原 章宏(かしわばら あきひろ)さん
漢方薬品会社(ツムラ)に在職中、55歳で早期退職者制度を利用し、2015年に東京から信濃町に移住。2人の男子の父。現在「くろひめ観光トラベルプラン・不動産エージェンシー」代表を務めている。
kurohimekanko.jp

 

ひとりでふたつの事業をおこした理由

――柏原さんは信濃町に移住してきて、旅行業と不動産業という、ふたつの事業をおこされていますよね。始めようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

柏原さん:

私は会社員時代から、地域で事業をしたいと思っていました。転勤が多かったのですが、都市部よりも郊外が好きで、一日じゅうデスクで仕事をするよりも車で外回りすることが好きだったんですね。

もし東京からいなかまちに移住して、そこで事業をするのであれば、周辺市町村へのツアーを組んだりと、あちこちに行くことになる観光関係の仕事はいいと思ったんですね。ツアーコンダクターの資格も持っていましたし。

それと東京から長野にスキーなどで訪れたときに、自分が買いたいお土産がそんなになかったのが気になっていて。お土産を買う都会の人たちの気持ちを汲みつつ、地域の良さが活かされていて、パッケージも含めて魅力的な商品を企画して売り出してみたい、という気持ちもありました。

――あちこちに行くことが好きで、観光関係のお仕事を選ばれたんですね。では、旅行業だけでなく不動産業も始められたのはなぜだったんでしょうか?

柏原さん:

ある建築屋さんから「信濃町に来るなら、不動産屋さんがないから、やってよ」と言われたのがきっかけです。信濃町には国際村や大学村などの歴史ある別荘地も多いですが、バブル崩壊後は、家や土地の取引をお世話する不動産業者が不在でした。

不動産屋がないと、実際に自分で土地を買うときや、建物を作ったり、いざ契約するというときに、売主と買主が直接取引になるので、手続きがとても煩雑になってしまいます。私は法学部出身なので、不動産業に必要な宅建の知識にも、ある程度通じていたこともご縁でしょうか。

 

目標は都会の人と信濃町を結びつけること

――おひとりでふたつの事業、お忙しいですよね?

柏原さん:

信濃町には野尻湖や黒姫高原などの有名な観光地があるのに、実は当時、旅行会社もありませんでした。そこで当初は、自分もひとりの観光客として信濃町に来ていたので観光の仕事から事業をスタートしたいという思いがあり、旅行業の免許を取得して信濃町と周辺市町村を巡るツアーを企画していました。

それから、移住してきた年から信濃町役場の癒しの森事業推進委員会に参加して、癒しの森プログラムのお手伝いをしています。これは、信濃町の豊富な森林資源を生かして、町が認定する森林メディカルトレーナーと「癒しの森の宿」を組み合わせた滞在型のプログラムで、企業や学校などの研修や野外教育のひとつとして導入されているものです。

癒しの森コースのひとつ、黒姫高原の「御鹿池コース」の秋の一コマ(写真提供:柏原章宏さん)


以前は漢方薬会社勤務で、自然が健康に与える力について興味がありましたし、信濃町に観光客として訪れていた時にC.W.ニコルさんが森林保護活動を行っている「アファンの森」の存在を知って、そのニコルさんの提唱で始まった信濃町の癒しの森プログラムに強い関心を持ったのも大きなきっかけです。

都会の人に信濃町の魅力を、実際に旅行で足を運んでもらうことで知っていただき、その魅力を発信していく。そんななかで、移住したい方がいたときに信濃町と結びつけるように不動産業としてもお手伝いをする……私のなかで、旅行業と不動産業は別々ではなく、繋がっているものなんです。

 

駅前の店でなくても、ネットでお客様とつながれる

――不動産のお仕事はどうやって受注しているんでしょう?

柏原さん:

ホームページを見て問い合わせが来たり、また、信濃町の「空き家・空き地バンク」に登録しているので、信濃町で家を探している方がいらっしゃると、私のところに話が来たりしますね。

――なるほど。あとは以前お仕事でおつきあいされた方からの紹介も、とおっしゃっていましたね。

柏原さん:

はい。人口が1万人に満たない町なので、丁寧な仕事をすると、そのお客様や、取り引きに関わった方が、新しいお客様や物件を紹介してくれることも多いです。また、お客様との待ち合わせも、みなさんネットで調べて、ネットで問い合わせて、現地で待ち合わせが多いので、最初に事務所で会って、ということは少ないです。都会では不動産屋さんは駅前が多いですが、私のほうは、駅から遠く目立たない畑のど真ん中で(笑)事務所を構えています。

ネットのおかげもあり、町内の方々にも信濃町で唯一の不動産業者として頼られることが増え、起業して3年で仲介手数料は目標のレベルまで行ったので、まあまあというところでしょうか。

――ネットのおかげで、いなかでもハンデなしに仕事ができるんですね。

 

早期退職制度で資格を取り、移住する

晴れた日には黒姫山・飯綱山・戸隠山・斑尾山が見渡せる事務所兼自宅。おしゃれな新築です。


――柏原さんが実際に信濃町に住み始めたのはいつからですか?

柏原さん:

事務所兼自宅を作り始めたのが2014年、できあがったのは2015年です。

2015年は前の会社の55歳の早期退職者優遇制度で、起業準備コースが1年間あり、起業についての一般的なことを学びました。それと同時に、専門学校へ通い宅地建物取引士の資格取得に備え、その年の秋に宅建の試験に合格して、年末に会社を卒業しました。

――会社のバックアップと、専門学校で勉強という同時進行で退職後の準備をされたんですね。

柏原さん:

会社で60歳や65歳まで働いても良かったのですが、60歳の定年を待って新しいことをすることよりは、今やってみようと思い、会社の制度を活用しながら、週2日の専門学校通いをしました。

せっかく早期退社をするからには、東京にいたらつまらない。子育てもひと段落したところで、山に近いいなかで、地域に貢献できて、会社に縛られない生活をしたい、と考えました。

そして2016年秋に信濃町で起業塾を受けました。それまでの時間は、起業の準備をしたり、下の子が大学の観光学部に入ったので、次男と一緒に旅行業の免許を取得するのに必要な旅行業務取扱管理者の資格を取ったりしました。

起業塾でビジネスプランを作って提出し、役場の人たちにプレゼンをし、許可が下りたのは2017年の春。ようやく開業のための支援金がおり、起業することができたんです。

「起業塾(起業等人材育成支援事業)」とは

信濃町で新しい事業を起こす起業家の方、または既存の経営の改善・変革となる「第二の創業」を目指している経営者の方、若手経営者及び後継者、幹部育成のために、経営者としての心構え~収益性・資金調達方法~経営計画(ビジネスプラン)作成までを具体的な起業事例等を交えながら、体系的に学ぶ機会を提供し、参加者の起業等に対する包括的な支援を行ないます。

出典:起業等人材育成支援事業(信濃町)

 

移住先を信濃町に決めた理由

――柏原さんは、なぜ移住先に長野県の信濃町を選んだのですか?

柏原さん:

実は約40年前、私が小学生だったときにスキーを習ったのが、黒姫スキー場だったんです。そして、数年前に移住の検討を始めた時期に、子供が通っている英語教室の先生に、たまたま信濃町の別荘に誘われて、40年ぶりにここを訪れました。

以降、気に入ったんでしょうね。春スキー、ゴールデンウィークはカヤック、夏休みにも来て、秋はそば打ちの会に来て……「なかなか、いいところだな」と、思ったんです。

癒しの森「御鹿池コース」のスタート地点、黒姫童話館から望む黒姫山の全景。(写真提供:柏原章宏さん)


――小学校のスキー教室で黒姫高原に来ていたとは……縁があった、ということなんですね。

柏原さん:

本当にたまたまですよね。あとは私は暑さが苦手なので、移住先は信濃町のように涼しいところにしたいと思っていました(笑)。

東京から移住するというと、海だと千葉県の房総半島、茨城県もいいし、山だと八ヶ岳・北杜市が人気です。私も最初は八ヶ岳の山麓で物件を探したり、トレーラーハウスを借りて行き来しましたが、東京から近すぎるからか、ちょっと都会的な雰囲気が強すぎて、しっくりこなかったんです。

各地で子供とキャンプを楽しんでいましたし、山歩きやスキーも好き。だから、もう少しディープないなかまちが良かったんです。信濃町は観光地でおしゃれなスペースが多いから、いなかっぽさとのちょうど良いバランスに惹かれたのかもしれないですね(笑)。そして、私の名字です。

――「柏原」さん! 名字も関係あったんですね。

柏原さん:

信濃町は、昔の北国街道の「柏原」の宿場があったところで、役場や駅前の商店街がある地名と同じなんです。こんなにも信濃町に縁があり、地元の方に一発で覚えてもらえるということも、信濃町で起業することをを決めた大きな理由かもしれません。

 

雪国での冬の暮らし方を模索しています

――移住してからの、実際の生活はいかがでしょうか。

柏原さん:

まだ冬場の過ごし方が、よくわかっていないですね。ペレットストーブを買いましたが、なるべく暖房にかける費用を抑えたくて(笑)、エアコンと石油ストーブと、いろいろ組み合わせて、事務所かリビングか、どの部屋を暖めたらいいかを工夫しています。

春から秋までは仕事も慌ただしいですが、冬になると日が落ちて暗くなるのも早いし、大雪が降ったときにはお客さんの案内をしにくくなります。

ただ、今年(2020年)の冬は、起業して3年目ということと、雪が少なかったこともあり、例年になく忙しいシーズンでした。

 

おわりに・・・いなかまちにも起業のチャンスあり!

「いなかに移住したらやってみたい」と思っていた仕事と、他の人から「やってほしい」と勧められた仕事、ふたつの事業を結びつけて地域に貢献し、精力的に活動されている柏原さん。

いろいろな偶然が、今の柏原さんの笑顔につながっているのでは、と思います。

そして信濃町は、おしゃれなところと田舎っぽさのちょうどいいところを兼ね備えているそうです。信濃町民としては、くすぐったい褒め言葉です。

いなかまちでも、自分で仕事をつくりだすことはできる――柏原さんとお話しして、力強くそう思えました。

柏原さん、ありがとうございました!

取材・文・写真:松下美恵子

ありえない編集部

長野県信濃町の移住者支援Webサイト「ありえない、いなかまち。」編集部です。
長野県北部のいなかまち信濃町の暮らしの中にある「ありえない」おもしろさを発信しています。

\こんな記事も読まれてます!/