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このまま大阪で定年を迎えると思っていたけど、移住をして新鮮さに溢れた毎日に

ありえない、暮らし

このまま大阪で定年を迎えると思っていたけど、移住をして新鮮さに溢れた毎日に

「お仕事を還暦まで勤め上げ、引退した後に、第二の人生をはじめる。」

「やりたいこと」は、仕事を引退した後に、じっくり時間をかけて行える。だから、引退するまでは、とにかく仕事に勤しむ。

ひと昔前は、そんな価値観が広く普及していましたね。

昨今、生き方や働き方が多様になり、仕事と「やりたいこと」の両立がはかりやすい世の中になってきました。

「引退するまで待たなくても、仕事もやりたいこともやれる」

今日は、信濃町でそんな生き方を見つけることができた、森さん夫妻にお話を聞いてきました。

■今回のインタビューはこの人

 

仕事に子育てに、忙しかった大阪時代

毎朝早く家を出て、遅くに帰ってくる毎日

==大阪では、どんな暮らしをしていたのですか?
茂樹さん
整形外科医として、大阪の病院に勤めていました。

美穂子さん
大阪にいる頃は、本当に毎日仕事が遅かったよね〜。
朝7時すぎに家を出て、帰ってくるのは22時頃が普通だった。

茂樹さん
大阪なので、高速道路が渋滞するんですよ(笑)
渋滞がひどいところを毎日通っていました。

 

長野との接点


==大阪時代、長野に来ることはあったのですか?
美穂子さん
私の父親が、新聞で長野県の別荘の広告を見て、「長野に住みたい」と憧れを持つようになり、定年を機に移住をしてしまいました(笑)
だから、年に数回は、家族で両親の家を目的地に、長野に旅行に来ていました。

茂樹さん
年に5回くらい行くこともあるくらい、私たちも長野に遊びに行っていました。
大阪の人は、長野に憧れを持っているんだと思います(笑)

美穂子さん
うん。たぶんそうよね(笑)
私の大阪の友達も、長野県好きな人が多いです。

 

都会で育つ子どもたち


==子育てをする上で、大阪はどうでしたか?
美穂子さん
娘が2人いまして、バレエを習っていました。
先生も熱心な方で、娘たちも頑張りたいって気持ちが強くて、週に5〜6回通っていました。

茂樹さん
習い事の選択肢も多いですし、習い事に通う周りの人も頑張っていたので、娘たちにも良い刺激だったと思います。
でも、ほとんど毎日通うから、娘の習い事が生活の中心になっていましたね。

美穂子さん
頑張りたいっていう子どもたちの気持ちを尊重してあげたかったので、できる限りのことはサポートしていました。

 

とある相談がきっかけで、信濃町がグッと近づく

どこの病院も医師不足

==信濃町を知ったきっかけは何だったのですか?
茂樹さん
信濃町立信越病院の前の院長先生が、大阪時代に一緒に働いたことのある方でした。

「整形外科医が足りていなくて、若い先生を探して欲しい」と相談されまして。

美穂子さん
そう。あの時は、あなたが呼ばれたわけじゃなかったのよね(笑)

==若い先生がいないから、ご自身みずから来られたのですか!?
茂樹さん
結果的にはそうなってしまいましたね(笑)

医師不足は、大阪でも同じでした。
若い医師は、都会で勉強をしたいという気持ちが強いので、田舎ほどではありませんが。

妻に信濃町の病院で人を探しているんだ、という話をしてみました。
一緒に信濃町の資料を見ていて、自分が行くつもりはまだまったくなかったのですが、「いいところやなぁ」と気持ちが惹かれたのを覚えています。
妻の両親のいる白馬へ毎年来ており、その年、白馬から妙高を通って、信濃町、戸隠を越えて、白馬に戻るというコースで旅行をしました。

その際に、信濃町の病院に、院長先生に挨拶をしに立ち寄ってみようということになりました。挨拶に行ったら、事務の方が、ものすごく丁寧に案内をしてくれまして、熱意のある方で、病院のことや町のことを一生懸命に教えてくれました。

事務員さんなのに、こんなに一生懸命な人がいるんだ、、、とすごく印象に残ったくらいです。

そして、信濃町移住を自分のこととして考えるようになりました。


美穂子さん
大賛成でした。
子どもたちに、自然が多く、生きる力がつく環境での暮らしを経験させたかったから、すぐにでも行きたかったです。

子どもたちに「お父さん、残りのあと10年、どういう生活がいいかな〜?」と聞いてみたところ、2人とも「趣味とか好きなことをしながら生活できたほうがいいね」って言ってくれました。

上の子は中学生、下の子は小学校高学年だったので、転校するのは嫌だろうなと思ったのですが、子どもたちが一番懸念していたのは、バレエだけでした。
「バレエ教室があるなら行く」と条件を出されました。
ものすごい調べましたし、探すために信濃町や長野市に下見にも来ました(笑)

==そうして、信濃町に移住されたわけですね?
茂樹さん
大阪の病院は、20数年勤めたから、そろそろいいかなと思って、辞めることを相談しました。
ただ、大阪でも医師が足りていない状態だったので、「待ってください」と言われました。

美穂子さん
そこからね、「まだ?」「まだ?」と、1年半もかかったんですよ〜
子どもが高校生になってしまったら、もう難しいなと思っていたのですが、なんとか間に合いました。

茂樹さん
こうして、だいぶ時間がかかりましたが、円満退社で辞めることができました。

==大阪から信濃町に移る際に心配事や懸念事項はありましたか?
茂樹さん
仕事については、技術面でスキルが落ちてしまわないか心配でした。
大阪では、週に10件くらいの手術を行っていましたが、信濃町に移ると週に1〜2件くらいになってしまうという点は、信濃町に移るまで気にしていました。

 

信濃町ではじめる、「第二の人生手前」の人生

信濃町に移ってみて、趣味が広がった

==信濃町の生活はいかがですか?
美穂子さん
田舎は、やることいっぱいで、ほんと忙しいです(笑)
冬は雪かきがあるし、夏は畑が大忙しです。
移住して3年経ちますが、いまだに雪がたくさん降ると嬉しいのですが、地元の人からは「何喜んでるの」と怒られます(笑)

大阪で、レンタル農園を借りようとしたことがあったのですが、何ヶ月も先まで埋まっていて、結局借りられませんでした。
信濃町に移り、社宅の庭が広くて、大阪時代やりたかったのにやれなかった畑に挑戦してみようと張り切っていたところ、「畑やるんかいー?おこしてやるよー」とお隣さんがトラクターで耕してくれました。

茂樹さん
職場が近いので、家で過ごせる時間が増えました。
あと、移住に向けた体力づくりのために始めたランニングが、今では趣味になりました。
こちらは夏に走っていても涼しいので、気持ちがいいです。

美穂子さん
大阪で夏に走ったら暑さで死んでしまうよ。

茂樹さん
あと、信濃町に来てトレイルランニングを始めました。

最初は10キロがやっとでしたが、50キロを走る大会なんかにも出るようになりました。

また、冬のシーズンはスキーをしています。
もともと、大学時代はスキー部だったので、医師になっても年に1回はスキーをしていましたが、信濃町に住んでスキー場が近くなったので、毎週行っています(笑)

地元のアルペンスキーの大会に出場したり、去年からクロスカントリースキーも始めました。

 

信濃町に移ってみて、子どもの教育方針が変わった

==信濃町での子育てはいかがですか?
美穂子さん
大阪の中学生は、塾通いが当たり前なんですよね〜。
クラスのほとんどの子が塾に行っている。
すごい競争社会だと感じ、なんだか可哀想になってしまうくらいでした。

信濃町は、競争とかの雰囲気がなくて、気持ち的に楽ですね。
子どもたちが変なプレッシャーを感じなくてすみます。

「勉強しなくていい」とまでは言いませんが、それよりも大切なものがあると思っています。

子どもたちには、生きる力を養ってもらいたいんです。

 

信濃町に移ってみて、患者さんが変わった

==お仕事はいかがですか?
茂樹さん
大阪から移りましたが、私は整形外科医なので、基本的には、することは変わらないんですよね。
ただ、都会の大きな病院では整形外科でも細かく分野が分かれています。
田舎の病院だと、いろんなことができないといけないんです。


あと、季節変動が大きいですね。
夏は大阪と比べても圧倒的に患者の数が少ないですが、冬は都市部と同じくらい患者が増えます。
大阪からお手伝いの先生を呼んでいるくらいですからね。
冬は、スキー場からの外傷の救急外来が多いんです。外国人の方も多いですね。

==スキー場も多いエリアですもんね。田舎と都会で患者さんの違いとかありますか?
茂樹さん
信濃町に来て、高齢なのに元気な方が多いことに驚かされることが多いです。

このエリアですと、80代で畑をしている人は普通ですね。一人暮らしも多い。
中には、90代で一人暮らしなんて人もいらっしゃったりする(笑)

都会では、「ライフスタイルを見直しましょう」と指導するのが医学の常識で、対症療法などは積極的に行うことはないのですが、このエリアでは、生きてくうえで、除雪や畑作業などやらなければならないことが多いので、対症療法も必要な方が多いんだなぁという気づきもありました。

 

第二の人生に向けて

子どもの成長が楽しみ

==この先も信濃町に住み続ける予定ですか?
茂樹さん
もちろんです。
ただし、ずっといたいけど、田舎生活や雪かきや、いろいろと生活面を考えると、いつかいられなくなる時が来るのかもしれません。

美穂子さん
雪かきとか、最低限のところだけでもいいよね。
それなら、なんとかできるんじゃないかなと思う。

茂樹さん
今は、社宅なので、土地を見つけて自分の家を建てたいという想いがあります。
「薪ストーブ」のある家にしたいな〜と夢みています。
あと、趣味ももっと深めていきたいですね。

美穂子さん
子どもたちは信濃町からいずれ出てしまうかもしれませんが、帰ってこれる場所にしたいです。
信濃町に移ってから、下の子は「お父さんの仕事いいな」と言うようになりました。
病院も家から5分くらいのところなので、働いているのを感じられる距離なんだと思います。

将来、医者になって戻って来るって言っています。


==もしかして、信越病院の院長先生になったりして(笑)
茂樹さん
そうなったら嬉しいですね〜(笑)

 

ありえない、いなかまちで、やりたいことを見つけよう

森さん一家は、信濃町に来て、都会ではできなかった新しい挑戦をたくさんされていました。
「仕事がひと段落したら、はじめよう」と思っていたことが、仕事とプライベートの両立がはかれる環境に移ることで、すぐに始められるようになると、人生が劇的に変わりますね!

いま、やりたいことを先延ばしにして、我慢している人は、「それ、信濃町でできないか」確認しに来てみませんか?

 

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