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田舎暮らしで年商6000万円——骨董屋が実践する“攻めの在庫術”と信濃町の可能性

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田舎暮らしで年商6000万円——骨董屋が実践する“攻めの在庫術”と信濃町の可能性

今回取材したのは、都会から長野県信濃町へと移住し、骨董ビジネスで法人化を果たした一人の男性。
かつては田舎にも古いモノにも縁がなかったという彼が、広大な倉庫付きの住まいを手に入れ、独自のスタイルで事業を成長させてきました。
移住のきっかけは、友人の「こっちに住んでみたら?」という何気ないひと言。新たな環境への一歩が、どのように彼の人生とビジネスを変えたのか。信濃町という土地の魅力と、骨董ビジネスの裏側について話を伺いました。

興味ゼロから始まった骨董の道

「骨董にはまったく興味がなかったんです」。骨董バイヤーの細川達也さん――町の人からは“たっちゃん”と呼ばれています――は、そう笑って振り返ります。

骨董品に携わり始めたきっかけは、今から約10年前、30歳の頃。当時骨董業をしていた友人から「手伝ってみない?」と誘われたことでした。前職を辞めて時間を持て余していたタイミングだったこともあり、軽い気持ちで始めたのが、気づけば人生を大きく変える一歩になっていました。

知識ゼロのまま市場に同行し、3日目にはいきなり現金を託されて仕入れを任されることに。結果は大赤字。それでも悔しさをノートに書きとめて、買った品物の名前や価格、特徴を一つずつ調べる“自主反省会”を続けました。

独立後は首都圏に拠点を移し、埼玉県をベースに本格的に骨董の仕事をスタート。当時の貯金38万円を持って、栃木の市場でほぼ全額を仕入れへ投入。戻ってきた売り上げは50万円。緊張と不安のなかで仕入れた商品が売れていく手応えに、心がじわじわと熱を帯びていったそうです。

「生活費まで突っ込んで、家賃の支払日までに売り切らなきゃいけない。ギャンブルみたいな生活でした」とたっちゃん。それでも、きちんと見極めて仕入れをすれば、それは“価値”として少しずつ積み上がっていく。そんな感覚が、はじめて腑に落ちたと振り返ります。

「借りる」から「持つ」へ──移住で月50万円の倉庫コストがゼロに変わり、”攻めの在庫術”が加速

個人事業として年商3000万円まで伸ばした頃、「もっと拡大したい」と感じるようになりましたが、どうすればいいか思いつかずにいました。埼玉県内で倉庫を探しても、家賃は月に50万円から。コストの高さに二の足を踏んでいたそうです。

当時拠点にしていたのは、35㎡ほどの2DKの賃貸マンション。リビングや押入れに商品を山積みにして作業をしていたものの、在庫が増えるたびに生活スペースは圧迫されていきました。「商品を置ける空間に限界があることで、いい商品があっても諦めることが多かったんですよね。仕入れと在庫のバランスを常に気にしていました」と振り返ります。

そんなとき、仕事を手伝ってくれていた友人が信濃町に移住することに。その友人から「たっちゃんもこっち住んでみたら?」と声をかけられ、実際に足を運んでみたことで移住への思いが少しずつ現実味を帯びてきました。暮らしていた埼玉には特別なこだわりもなく、実家のある大阪に戻る選択肢もあったものの、「今の自分を変えたい」「どこまでできるか試してみたい」という気持ちが後押ししました。

信濃町で出会ったのは、平屋と倉庫付きの空き家物件。購入費は120万円、残置物撤去の費用を含めても総額200万円以下。住居と倉庫を合わせて約300㎡を超える広さに、「これなら思い切った勝負ができる」と、たっちゃんは直感したそうです。

実際、移住後は在庫スペースに余裕ができたことで、仕入れの判断軸が大きく変わりました。「以前は“置く場所がないから”と見送っていた商品にも手が伸ばせるようになった。多少在庫が膨らんでも、価値があると思えば迷わず仕入れる。そういう勝負ができる環境になりました」と語ります。

台所も在庫スペースとして活用
和室は大型商品の撮影スペースに
面積が広くなったことで、今まで扱えなかった2メートル超の花瓶のような大型商品の販売もできるようになった

固定費が劇的に下がり、浮いた予算をすべて仕入れに充てられる体制が整います。移住から2年。売り上げは倍の年商6000万円台に到達し、個人事業「古美術そら」から法人成り。株式会社SORAを設立しました。

「雪かきや草刈りは確かに大変。だけど、この環境に身を置いたら攻めの姿勢を崩さずいられます」とたっちゃんは語ります。

信濃町で広がる仕入れとつながり

仕入れの点数を増やすため、移住後に軽バンからハイエースへ乗り換え。より多くの商品を積み込めるようになった

信濃町に住んで驚いたのは、人との距離の近さでした。車ですれ違えば会釈が返り、隣人からは野菜のお裾分けが届く。さらには「蔵から骨董が出てきたから見てほしい」と声が掛かることもしばしば。開かずの金庫を託され、ディスクグラインダーやバールで開封したところ、中から古銭や有価証券が出てきたこともあったそうです。有価証券はすぐに依頼主にお渡しし、古銭についてはその場で査定・買取を行いました。

また、町内からの買取依頼も少なくありません。特に空き家の整理や手放しを検討する際、「残置物のなかに価値があるものがあるかもしれない」と、処分に踏み切れずに悩む方が多いのだとか。たっちゃんはそうした現場に出向き、残された品々を一つひとつ目利きして、価値があるものは適正な価格で買い取ります。こうした取り組みが、空き家問題の解決にも一役買っています。

「今後も町内からの依頼には積極的に応えていきたいですね。買取のご依頼があればメール(tatuya4584@gmail.com)にてお問い合わせいただければ嬉しいです」

こうした田舎ならではの出会いは、仕入れの幅を広げると同時に、地域との信頼関係を築くきっかけにもなっています。

一方で、移住したことで以前から通っていた埼玉県や群馬県の市場までは距離が生まれ、車で片道2〜3時間かかるようになりました。それでもたっちゃんは「移動の時間も無駄にしたくない」と語ります。音声コンテンツで勉強をしたり、新しい知識を取り入れたりと、長距離の移動も前向きに活用。「考え方ひとつで、出張の移動はむしろ集中してインプットできる貴重な時間になる」と話します。

Yahoo!オークションで全国へ

販売の9割以上はYahoo!オークション。雪深い日もネットがあれば商圏は国内外へ広がります。撮影ではライトと影の角度にこだわり、仏像は見上げる視点で撮影。説明文には的確なキーワードを盛り込み、商品が愛好家の目に留まるように工夫しています。

冬は積雪の影響で予定通りの集荷が難しくなることもあるため、たっちゃんは除雪状況を見ながらこまめに準備を進め、集荷の時間に間に合うよう段取りを工夫しているそうです。そうした丁寧な対応の積み重ねもあって、郵便局からは「発送点数は北信エリアでトップクラス」と評価される、信頼の厚い取引先となっています。

小型商品の撮影には専用のブースを使用。作品ごとの色合いや質感に合わせて背景色を変えることで、魅力がより正確に伝わるよう工夫

暮らしが整うと仕事も整う

商品の確認をするたっちゃん。商品の一部は古間カフェ(https://shinanomachi-iju.jp/18027/)にも委託販売されている

都会好きだったたっちゃんが信濃町で得たのは「静かな時間」でした。遊びや飲み会の誘いが減ったことで、自然と本を手に取り、相場を追い、在庫を並べ替える習慣が生まれたそう。田園風景を望む朝焼けの中、倉庫で作業をする日常が心身を整え、仕事への集中力を高めています。

移住を考える人へ

「道に100万円が落ちていたら、とりあえず拾いに行くでしょう?」

たっちゃんは、移住を迷う人にそんなふうに語りかけます。そんな彼が続けて言ったのは、「信濃町は、その“100万円”みたいな場所なんですよ」という一言でした。

実際に移住してみると、空き家がそのまま倉庫やショールームになり、暮らしにかかるコストも大幅に下がります。余裕が生まれた分だけ、挑戦に向けられるエネルギーが増えていく感覚があるといいます。

雪かきや市場までの長距離移動など、確かに楽なことばかりではありません。でもそれも含めて、信濃町で得られた経験やつながりには、たっちゃん自身が「100万円どころじゃない価値がある」と感じているそうです。

おわりに──在庫と未来を抱える町

不確実さの中にチャンスを見出す骨董ビジネス。だからこそ、拠点となる土地のコスト構造が、事業の安定と継続に直結します。

信濃町では、家賃や維持費を抑えながら、広い倉庫や作業スペースを持つことができる。そのゆとりが、仕入れへの再投資や新しい挑戦を後押ししてくれます。

静かで集中しやすい環境、そして明確なコストメリット。信濃町は、在庫型ビジネスを地に足つけて続けたい人にとって、理にかなった選択肢です。

「次の一手を打ちたい」と感じている方こそ、一度この土地を視野に入れてみてはいかがでしょうか。

町民ライター 観音クリエイション

ヒップホップのトラックメーカー、ライター。音楽を作ったり、写真を撮ったり、文章を書いたりして生きています。2020年8月より長野県信濃町に移住しました。

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