
ありえない、仕事
「ここでお店を開こう」——”なんか楽しそう”で動いた移住と、古間カフェ店主の暮らしの記録
2025年4月、信濃町に新たなカフェが誕生しました。木造二階建ての古民家をリノベーションして生まれた「古間カフェ」です。
店主のあけみさんは、IT企業での海外勤務や大阪の飲食業を経て、信濃町に移住しました。「都会のスピードより、暮らしの手触りを大切にしたかった」と語るその姿勢には、地方で自分らしく働きながら暮らすという選択肢のヒントが詰まっています。
今回の取材では、移住の経緯から古民家カフェの立ち上げ、そして信濃町での暮らしについてお話を伺いました。
プロフィール
舞台からシンガポールへ、そして信濃町へ——変わり続ける生き方
静岡県沼津市で生まれ育ったあけみさんは、中学時代から舞台に情熱を注ぎました。文化祭では脚本・主演・総監督を一手に引き受け、2千人の観客を沸かせた経験が原点です。「あの大舞台で得たのは、人に楽しんでもらう快感と、面白そうなことは全部やるという癖」。
18歳で東京・池袋の舞台芸術学院へ。静岡から片道2時間、新幹線通学と飲食店のアルバイトを両立させながら、演劇・日本舞踊・声楽を貪欲に学びました。
22歳で進路を転じ、ITの世界へ。夜はパソコンスクール、昼は派遣先で実践を積む日々。外資系ソフトウェア企業のサポート部門に抜擢され、多言語での顧客対応や業務フロー整理を担当します。「整理整頓すれば、大抵の混乱は解ける」と語る彼女は、煩雑な部署の業務を可視化し、チームの離職率を劇的に下げました。その実績を買われ33歳でシンガポールへ。多国籍メンバーを率いた3年間は、言語・文化の壁を超え「学生のように遊び、プロとして働く」充実の日々だったと言います。


帰国後は「人の顔が見える仕事」を求め、大阪の肉バルや酒販店で接客に携わりました。活気あふれる街でサービスの基礎を磨きつつ、「いつか自分の店を」と構想を温めます。「大阪は楽しかったけれど、スピードが速すぎて息継ぎが欲しかった」。その頃、長野に住む旧友から舞い込んだオンライン業務が、次の扉を開くきっかけになりました。
「楽しそう」で踏み出した、信濃町での暮らし
信濃町との出会いは、町に住む友人から依頼された美術品ECのリモートワークがきっかけでした。仕事で何度も足を運び、豊かな自然に触れ、空き家の内見を重ねるなかで、「ここで暮らす」という気持ちが自然と芽生えていきました。
「決め手は、なんか楽しそうだったから」。あけみさんはそう笑います。環境を変えることに対して、不安はほとんどなかったと言います。「すでに仕事があったし、楽しそうと思ったら動くタイプなので」。移住前には、信濃町が提供する移住体験施設を利用して1週間滞在。町の職員や近隣住民と顔見知りになり、実際の暮らしが具体的にイメージできたことが後押しになりました。
唯一の懸念だったのは車の運転。長年ペーパードライバーだったあけみさんですが、友人の「じゃあトゥクトゥクにすればいいじゃん!」との一言で一歩を踏み出します。今ではそのトゥクトゥクを活用したレンタカー事業も始めています。
風を感じられるバイクのような乗り物ですが、普通自動車運転免許(AT限定可)で運転できるのも、トゥクトゥクの魅力。
「ここでお店を開こう」——夢が動き出した信濃町の古民家
「人が集まれる場所がほしい」と考えて始めた古間カフェ。物件は150万円、工事は外注とDIYで計250万円、合計約400万円。自宅兼店舗として使える空間を、手づくりで整えてきました。
実はこのカフェ、あけみさんにとって“自分のお店を持つ”という長年の夢を形にした場所でもあります。大阪時代から構想を温めてきたその想いが、移住という選択によってようやく現実になりました。

「大阪でお店を開くことも考えたけれど、初期費用はもっとかかるし、競合も多くて経営はどうしても忙しないものになると思った」と振り返ります。その点、信濃町では、物件取得から改装までを自分のペースで進めることができ、“暮らしとともにお店を育てていく”という暮らし方が叶いました。
漆喰を塗り、天井に柿渋を塗り、障子を張り替える。季節によって湿気や乾き時間が違い、思い通りに進まないことも多かったそうです。でも、「何やっても大体楽しい」と笑って話す姿が印象的でした。
柿渋を塗るための道具は全て揃えたそう。
お店のコンセプトは「昭和の家で、古美術に囲まれて、のんびりしてもらう場所」。本を読んでも、ノマドワークしても、話しても、ぼーっとしてもいい。古間カフェには誰もが自分の速度で過ごせる余白があります。
5月からは夜営業の部も開始。地元の人も観光客も気軽に立ち寄れる「社交場・古間座」へと発展しています。
バードウォッチングと草刈りで気づいた、暮らしの輪郭
「信濃町に来て、季節を“体で感じる”ようになりました」と、あけみさんは語ります。川沿いの家には季節ごとにさまざまな鳥がやってきて、ご近所さんとバードウォッチングの話で盛り上がることもしばしば。庭の草刈りのタイミングひとつとっても、天気や湿度に左右される自然とのやりとりがあります。
地域の人たちは野菜や苗を手にふらりと立ち寄り、天気や季節の話をしたり、手土産を置いて帰ったりと、自然な交流が日常的に生まれています。そんなやりとりが積み重なり、カフェは今や地域の暮らしの中に根づいた“交差点”のような存在に。デジタル機器に強いあけみさんは、パソコンやスマートフォンの小さなトラブルを15分500円でサポートするプチ講座も開いていて、「助かったわ」の声がそのまま地域の信頼につながっています。
都市生活と違い、信濃町ではすべてが自己責任。雪かき、草刈り、店づくり――一つひとつの作業に手間がかかりますが、そのぶん暮らしの輪郭がくっきりと浮かび上がってくるといいます。季節や自然と向き合いながら、自分で日々を整えるなかで、「人間らしい強さを取り戻せる」とあけみさんは語ります。
「都市部の生活が悪いわけじゃないんです。でも、便利さの裏で失っていた感覚に、もう一度触れられた気がしています」。
不便さすら愛せる町で、自分らしい暮らしを選ぶ
最後に、移住を考える人へのメッセージを尋ねると、あけみさんはこう答えてくれました。
「不便はあります。でも、その不便さを含めて面白がることができる人なら、信濃町は最高の遊び場になります。山の色も、川の音も、人のやさしさも、全部が暮らしの一部。人生を自分の手で組み立てたい人は、ぜひ一度遊びに来てください。」
都会で培った整理力と行動力を武器に、信濃町で暮らしをデザインするあけみさん。古間カフェの窓からこぼれる柔らかな灯りは、新しい生き方を探す人にとって、小さな道しるべのように見えるかもしれません。
信濃町には、広い空と澄んだ水、そして人と人との心地よい距離感があります。アウトドア派も、インドア派も、ものづくりが好きな人も、それぞれのペースで暮らせる余白がある場所です。
暮らしながら、何かを試す。そんな生き方に惹かれたなら、古間カフェに訪れてみてはいかがでしょうか。
古間カフェ 所在地:〒389-1313 長野県上水内郡信濃町古間908 【朝の部】7:00〜11:00(朝カフェ) 【夜の部】16:00〜22:00(バー営業) 定休日:日曜日・月曜日 |