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とある信濃町町民が抱えている悩み 〜信濃製作所 松木さんの場合〜

ありえない、町民

とある信濃町町民が抱えている悩み 〜信濃製作所 松木さんの場合〜

田舎の暮らしって、のどかで悩みも少ないイメージですよね。
都会の人が、田舎に求めることは、「ストレス社会からの脱出」「スローライフ」といったテーマが多いようです。

さて、ありえない、いなかまち。信濃町に住む人は、どうなんでしょうか?

これまでの取材では、新しい流れを創る変人や超人たちもたくさんいましたが、今日は、穏やかに暮らす町民にとって、何が悩みなのかを探ってみました。

■今回のインタビューはこの人

素朴で優しい雰囲気を持つ松木さんは、信濃町生まれの信濃町育ち。
長野の高校に行き、大学は関東に出て、東京で少し働き、信濃町に戻ってきて、今は会社員をされています。
とても、穏やかに暮らされている松木さんですが、普段どんな悩みを持たれているのかを聞いてみました。

 

年齢とともに変わる悩み

親から離れたい


==どんな子ども時代を過ごされていましたか?
田んぼ道を歩いて通学したり、冬には体育でスキーがあったり、いかにも田舎らしい環境で育ちました。
放課後に道草を食って帰ったり、普通の田舎の子どもでした。

両親の職場が同じ町内なので、夕食はいつも家族全員で食べていました。

==のどかな環境で育ったのですね。当時の悩みって何かありましたか?
小学生の頃は特にありませんが、中学・高校生になってからは、反抗期ですから、親と一緒にいるのが嫌でしたね。特に父親と(笑)

でも、職場が町内なので、毎日いるし、相変わらず夕食も一緒でしたから、家から出たいとずっと思っていました。

高校は、長野の工業高校に行っていたのですが、進路を決めるタイミングで、父親と将来の話をすることがありました。
父親から「将来どうするんだ」と聞かれた時に

「オレは、継がないよ」

と答えていました。
進路が決まるまでは何度か同じように将来を心配されましたが、「継ぐ気はない」ということは伝え続けていました。

当時、Windows95の出始めの時代で、「仕事でパソコンスキルは、かならず必要になってくる」と言われていたので、パソコンを扱えるような勉強をしようと思い、高校の先生の紹介で、千葉の私立大学に進学しました。

==ご両親は残念がったのでは?
当時は、残念だったと思いますね。
私自身は「これで自由を得た」という気持ちだったので親のことは気にしていませんでした。
今思えば、当時の自分には見えていなかった、学費や一人暮らしの家賃や、様々なサポートをしてくれていたことに感謝しています。
 

初めての一人暮らし

==千葉での一人暮らしや大学生活はどうでしたか?
「開放感」ですね。
何を食べるのも、何時に寝て何時に起きるのも、家に友達を入れたりするのも、何もかも自由でした。

学生生活も、テニスサークルに入ったり、アルバイトをしたり、満喫していました。
実家から通っていた友達も多かったので、私の家はみんなの溜まり場になっていました。

当時の日課は、平日は、学校から帰ったらバイトへ行く。
休みの日は、テニスサークルの後輩だった彼女と遊ぶか、家に友達が遊びに来ていました。

==大学生活満喫ですね!当時、悩みはありましたか?
短大を卒業した後に、就職活動もろくにしていなくて、でも長野には戻りたくなかったので、千葉に残ってフリーターをしていました。
ここから2年間くらい、居酒屋と食品工場の深夜作業をしながら、彼女と遊んだり、友達と遊んだりして過ごしていました。

当時は、まだ新幹線が無かったので、長野はとても遠く、高校を卒業してからずっと戻っていませんでした。
学生時代は、親から仕送りも受けていたので、頻繁に連絡をすることもあったのですが、フリーターの時期は全く連絡もとっていませんでした。
 

突然の悲報、そして長野に戻ることに


==フリーターを辞めて長野に帰るきっかけは何があったのですか?
父親から「病気になった」という突然の電話がありました。

「病気になって、手術しなければいけなくなった。先のことも話さなきゃいけないから帰ってきてくれないか。もう戻って来てほしい。」

かなり暗いトーンで、「本当にヤバいんだな」という雰囲気だったのを覚えています。

今ほど交通が便利ではなく、ちょっと見に行くか、という距離ではなかったので、アルバイト先も全て辞めて、アパートも解約し、一旦、長野に戻ることにしました。

==その後、お父上は大丈夫だったのですか?
はい。
今でもピンピンしていますよ(笑)

実は、そこまで深刻な病気でもなく、私を戻す口実だったんですよ。
戻ってきて父親に会った時、「やられた」と思いましたね。
 

地元で社会人になる


==結局、ご両親の仕事を継ぐことになりましたね?
長野に戻ってきて、1年弱くらいは、別の仕事をしていました。
戸隠にあるホテルが開業したばかりで、人手不足だったので、ずっとそちらで手伝いをしていました。

その後、両親の会社、信濃製作所に入社することにはなってしまうのですが(笑)
小さな頃、夏休みに工場を見に行ったりしていたので、職人さんが何かを作っているということは知っていましたが、実際に入社して働いてみると、特殊な機械が並び、専門的な仕事なので、わからないことだらけでした。

信濃製作所は、金属加工業を行っています。
お客様から図面を渡されて、素材と加工内容の確認をし、製造をするというお仕事です。
半導体の部品や、ヒーターの熱交換器の部品など、一般に流通する製品の「部品」や、それらを製造する機械の一部となるようなものを造っています。

私は、営業と管理業務を行っており、入社したてのことは、客先で言われたことを「持ち帰って確認します」というのが日課でした。


==未経験の業界ですから入社したては大変でしたね!お仕事をされていて、悩みはありますか?
製造業なので、オリンピック景気があるなと感じています。
今は好調ですが、いつ忙しくなくなるかわからないのが正直なところです。

また、若手の育成や、社員の働き方についても見直す必要があると感じています。
 

第二の居場所

==信濃町の生活は、普段はどのように過ごされていますか?
最近は、休みの日に、消防団の活動をしてることが多いですね。
あとは、天気のいい日や連休の時は、友達とBBQをしたり、海に釣りに行ったりします。

信濃町ではないですが、長野市によく呑みにも行きます。
信濃町から長野市まで、電車で30分くらいなので、千葉にいた頃、東京に呑みに行くのと、あまり変わらないんです。
東京と長野だと、電車が5分に1本なのか、30分に1本なのかの違いがありますが(笑)

==よく長野市に行かれるんですね。
はい、行きつけのお店がありまして。
何年もずっと仲良くしているBarで、そこに行けばいつでも顔見知りや友達に会えます。
忙しい時には「手伝って」と言われるくらい、仲良くしてもらっています(笑)

千葉から長野に戻ってきてから、このお店をきっかけに広がった友達もたくさんいます。
店長さんが女性なのですが、年に1回、常連さんのためのBBQを開催してくれたり、人と繋がるきっかけづくりが上手いんです。


==なるほど、長野市にも友達が多いんですね。ちなみにプライベートな面では、悩みとかありますか?
そろそろ結婚をしたい、というところですかね(笑)

周りからも「結婚しろ」とか「人の子どもと遊んでいないで結婚したら?」と言われます。両親からも「そろそろ孫が見たい」と言われてしまう始末です。

そんなことを言われ続けたら、そろそろ自分も結婚をして家庭を持ちたいなと思うようになりました。

==信濃町では出会いはなさそうですね?
いえ、そんなことはないですよ。
それは本人次第だと思います。
商工会や、消防団でも、「紹介するよ」と言ってもらえますし、長野のBarのコミュニティでも出会いはあります。

最近の若い人は、行動をしていないと思います。
出会いが欲しいなら、もっと行動をすればいいのにと思います。
ただ、私の場合、「選んでいないで、早く結婚しろっ」と言われます。
選びすぎてもいけませんね(笑)

私も良い人がいたら、すぐにでも結婚したいんですけどね。
頑張ります。

 

ありえない、いなかまちに行ってみよう

進学の悩み、お仕事の悩み、婚活の悩み、地域によって様々ですね。
松木さんの抱える悩みは、信濃町の町民全員に共通するわけではありませんが、進学や婚活については、信濃町らしさを感じます。

松木さん以外にも、パートナー探しに長野市まで呑みに行っている独身男性は多いそうなので、婚活中の女性は、ありえない、いなかまちに遊びに来てみてください!

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